原作改変:『やわらかい生活』事件
原作改変:『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件
今回は『やわらかい生活』事件を取り上げます。
わたしは法律に関しては素人なので、そのことを念頭にお読みください。
事件の概要
『やわらかい生活』事件とは、
絲山秋子氏の小説『イッツ・オンリー・トーク』が、絲山氏が納得できない改変された内容で映画化(映画タイトル『やわらかい生活』)
その後、脚本の書籍収録を絲山氏が許諾拒否
それに対し、脚本家荒井晴彦氏と社団法人シナリオ作家協会が原作者を提訴
東京地裁と知財高裁で脚本家側が敗訴、最高裁は上告を不受理
という事件です。
裁判は脚本の書籍掲載に関するものですが、本記事では、原作が改変された経緯を中心に扱います。
主な資料
東京地裁判決: 日本ユニ著作権センター/判例全文・2010/09/10
知財高裁判決: 日本ユニ著作権センター/判例全文・2011/03/23
地裁判決の「事実経緯」と高裁判決の「事実認定」に事件の流れが書かれています。地裁判決では、原作使用許諾契約の内容が詳しく紹介されています。
裁判における立場は次のようになっています。
脚本家側=原告=控訴人 脚本家の仮名表記はX
原作者=被告=被控訴人 原作者の仮名表記はY
『原作と同じじゃなきゃダメですか?』 2013年
編者:「原作と同じじゃなきゃダメですか?」出版委員会
発行所:シナリオ作家協会
第4章「「やわらかい生活裁判」全記録」に、判決文だけでなく裁判文書の大部分が収録されています。
この本以外にも裁判文書の多くを読めるものはあるのですが、著名でない人物も含め実名表記のままになっているので紹介は控えます。
本記事での、判決文以外の裁判文書の引用は、原則として『原作と同じじゃなきゃダメですか?』によっています。
「『やわらかい生活』裁判を考える会」後篇 - 文化通信.com
裁判報告とシンポジウムのレポート。
『原作と同じじゃなきゃダメですか?』に収録されているものと比べると、かなり要約されていて、元の発言とは違っているので、注意が必要です。
脚本の種類
『やわらかい生活』の脚本は数種類存在します。
ひとつの脚本に、原告側の呼び名、被告側の呼び名、裁判資料としての呼び名があってややこしいので、本記事では以下のように脚本1などと呼びます。
ちなみに脚本1は、甲12(裁判資料)、準備稿(原告)、第一稿(被告)と呼ばれています。
各脚本の説明は、主に原告準備書面1によります。
脚本1 2004年5月28日印刷
脚本2 2004年10月20日印刷
脚本3 2004年11月16日印刷
脚本4 脚本家が脚本3を手書きで直したもので、撮影に使用された
脚本5 『シナリオ』2006年7月号掲載 脚本4とほぼ同じだが、ラストの音楽指定は脚本1の曲が復活
経緯
地裁判決の「事実経緯」と高裁判決の「事実認定」以外の資料によった場合は、資料名を記載しました。
2003年
9月11日 著作権使用予約完結権契約締結
2004年
5月下旬 脚本1が原作者側に渡される
6月20日クランクインと説明
5月28日 原作者側がファックスで3点の変更申し入れ
10月 脚本2が原作者側に送られる
撮影スケジュールについては説明なし(被告準備書面(4))
10月20日 原作者側が、原作に忠実でなければ中止してほしいと要請
10月末頃 プロデューサーが、直すべきところは直すので再考してほしいと申し出
11月8日クランクインと説明(被告準備書面1)
原作者側は、協議への脚本家の出席を要求
11月7日 原作者側とプロデューサー・監督が協議
脚本家は協議のことを知らされなかったため出席せず
原作者側は不本意ながら製作を承諾
11月 クランクイン(訴状によれば上旬。10月末頃の説明では8日)
11月中下旬頃 原作使用契約締結(契約書上の日付は2003年9月10日)
注:予約完結権契約とは、オプション契約と同じものだと思われます。
注:2004年11月7日に口頭で原作使用契約が締結されたとする見かたもできるかもしれません。
絶対に譲れない3点
原作者側は、脚本1に「原作の設定やストーリーを逸脱するものとして看過することのできない点が多数含まれていることを確認したことから」(高裁判決の「事実認定」)、
2004年5月28日付けのファックスで、
「多数の問題点のうち、次のアないしウの3点については原作者としては絶対に譲ることができないので、脚本を変更してほしい旨を申し入れ」(同上)ました。
「アないしウ」については次の項以降で引用し説明しますが、簡単に言うと次のような内容です。
ラストの音楽
主人公の出身地と方言
ウェブ日記の無断利用
ラストの音楽
原作の作中ではキング・クリムゾンの「エレファント・トーク」が流れ、タイトルは歌詞から採られています。
『ノルウェイの森』と似たようなケースです。
脚本1では、ジャニス・ジョプリンの「A Woman Left Lonely」が指定されていました。
原作者側は2004年5月28日付けのファックスで、
「ア ラストの音楽は「エレファント・トーク」(キング・クリムゾン/ディシプリン収録)でないと作品自体の意味がない。この点は絶対にお願いしたい。ジャニスはクリムゾンの対極にある。」(高裁判決の「事実認定」)
と申し入れています。
脚本2では、曲の指定が削除されました。
11月7日の協議で監督から、
「キング・クリムゾンは音楽使用料が高いので使えない」(被告準備書面1)
との説明がなされ、原作者は受け入れました。
『シナリオ』2006年7月号に原作者に無断で掲載されていた脚本5では、脚本1の曲が復活。「陳述書(2) 原告X」に、「理由はそれが私のモチーフになった曲だからです。」という説明があります。
主人公の出身地と方言
「イ 主人公の優子は、東京の女だからこそ、蒲田に住んであの作品のような感慨がある。地方出身であればああはならない。方言をしゃべらせるのは止めてほしい。」(高裁判決の「事実認定」)
原作者が出身地の設定を問題にしているのに対し、脚本家側は「主人公の方言問題」(原告準備書面1)と表現しています。
11月7日の協議では、監督から、
「主人公(判決注:優子)は標準語で、幼なじみの男性(判決注:祥一)は博多弁で統一する。」(高裁判決の「事実認定」)
という説明がありました。
しかし、脚本4と完成した映画では、主人公の方言は減らされてはいたもののラストの部分に残っており、設定の問題は解決していませんでした。
上告受理申立理由書では、
「方言のシーンを減らしたものの、優子が九州出身という設定は、原作には東京出身とは書いていなかったこと、(中略)から維持された。」
と説明されています。
原作の1ページ目には、次のように書かれています。
「ずっと東京に住んでいながら蒲田に来るのは二度目だった。小さいころに夏物のスカートの生地を買いに来たっきりだ。」
東京生まれとはっきり書いてあるわけではありませんが、仮に九州生まれだとしても、「小さいころ」にはすでに東京に住んでいます。
ウェブ日記の無断利用
「ウ 被告が日常出入りする居酒屋の店名が出てくるが、影響を考慮して店名を替えてほしい。被告自身のプライベートにかかわることなので、居酒屋のロケは全く別の土地で行ってほしい。」(高裁判決の「事実認定」)
これだけだとわかりづらいので、ほかの文書からも引用します。
「被告が個人で開設するウェブサイトに掲載している被告の日記からの情報が、脚本で頻繁に使われている。」(被告準備書面1)
「それらはあくまで、個人としてのプライベートな生活にかかわる文章なのであったが、実在する飲食店に対する被告のその日記内のコメントが、本脚本(第一稿)では優子が映画の中で作成するホームページの文章として、被告に無断で大量に引用されていた。そのため、映画の観客から、作家である被告本人と、脚本(映画)内の主人公優子とが同一人物視されかねない危険が生じた。なお悪いことに、Mからは「すでに映画撮影のためのロケハンが始まっており、被告がホームページで紹介した店にもスタッフが足を運んでいる」という情報が入ってきた。実際、のちに映画撮影が進むにつれて、わずらわしいことが増えてきたため、やむなく被告は蒲田から別の場所への引っ越しを余儀なくされることになった。」(被告準備書面(4))
注:M氏はプロデューサー。
読んでいただければわかるように、これは原作改変問題ですらありません。
『イッツ・オンリー・トーク』とウェブ日記は別の著作物なので、利用するのならば別件として利用許諾を受けるべきものです。
原作者側は、「被告個人のホームページからの引用を許諾した覚えはない。」(高裁判決の「事実認定」)としています。
「陳述書(2) 原告X」によれば、この問題に関して脚本4は、「被告の個人情報問題は撮影の中で対処するというH監督の説明を被告は了解したので、そのまま。」でした。
「被告自身は本映画を見ていない」(被告準備書面(4))とのことなので、完成した映画で原作者が納得できる形になっているのかは不明です。
脚本家の協議欠席
原作者側は、2004年11月7日の協議への脚本家の出席を要求していましたが、プロデューサーが伝えなかったため、脚本家は出席しませんでした。
「被告からの要求として、脚本家(原告X)がその場に出席するようにとの話があったので、Tはその旨をMに伝えたところ、Mはわかったと答えた。」(被告準備書面1)
注:T氏は文藝春秋の編集者。M氏はプロデューサー。
「被告は《被告からの要求として、脚本家(原告X)がその場に出席するようにとの話があったので、Tはその旨をMに伝えたところ、Mはわかったと答えた。》(8頁12~14行目)と主張するので、訴外Mに確認した結果、この事実に間違いない。
尤も、訴外Mはこの話を原告Xには伝えなかった。その理由は、《こういう場合は直接当事者に面会すると得てして感情的にこじれる事態も予想される》(11頁22行目)と考えた訴外文春と同様であり、訴外M自身の判断で原告Xに伝えないことにしたのである。」(原告準備書面1)
原告準備書面1に引用されいている「こういう場合は…」の部分は、2009年に文藝春秋のS氏が、脚本家側からの質問状に対し、脚本家側にではなくプロデューサーに面会して回答した件です。
2004年の件と2009年の件には事情が異なる点があります。
2004年の件では、「わかったと答えた」にもかかわらず伝言を伝えてさえいないという点が問題です。
2012年のシンポジウム「 脚本と原作と著作権の不思議な関係」で、司会の西岡琢也氏(協同組合日本シナリオ作家協会理事長(当時))は、 原作者と脚本家が会っていないことに関して次のように語っています。
「この場合もそうですし、さっきちょっと話しました「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」っていうNHKの問題も、大森寿美男というライターと辻村美月さん、会ってないですね。一度も会ってないようです。意図はわからないけれども、とにかく会わさない出版社、担当者がいて、会えないっていう状況が、問題をこじらせてると思いますけど、いまなかなか原作者と会えない。」
脚本の書籍掲載の件で原作者に会えなかったことへの不満が影響しているのかもしれませんが、一般的な傾向はともかくとして、『やわらかい生活』制作過程で原作者と脚本家が一度も会っていないのは、すでに述べたように、プロデューサーが取りつがなかったからです。
それにもかかわらず、なぜか原作者・出版社側が批判される流れになっています。
シンポジウム出席者が誰もそのことを指摘しないのは不思議です。
クレジット
原作者側は2004年11月7日の協議で、
「「原作」としてではなく「Y『イッツ・オンリー・トーク』より」と表記すること」について「H監督から了解を取った」(高裁判決の「事実認定」)
にもかかわらず、なぜか実行されていません。
脚本家側は、原告準備書面1で次のように書いています。
「むしろ厳密に言うと、本映画こそ被告の注文を入れて完全には直しておらず、問題を残している。つまり、2004年11月7日の被告・H監督面談において、被告は、《映画エンディングのクレジットで……「原作」としてではなく「Y『イッツ・オンリー・トーク』より」と表記すること》」(8頁下から2行目~9頁2行目)と注文を出し、了解されたにもかかわらず、本映画では実行されなかった(甲16)」
プロデューサー・監督の対応にくらべて脚本家の対応がひどかったわけではないということを言いたいという意図はわかるのですが、わざわざ指摘することによって、この件に気づいていなかった原作者側が事実を知ることになりました。
被告準備書面(4)には、次のように書かれています。
「むしろ被告としては、今回、「より」の件を指摘されたことで、映画製作についてあれだけ譲歩したのに決めたことが守られなかったと知り、本映画と脚本に関して嫌な経験がまたひとつ増えたというだけである。」
政治色が出ている場面
クランクアップ後の2005年1月7日に、原作者側は「小説になかった強い政治色が出ている場面」(被告準備書面1)に対して改善を求めました。
この場面がカットされたことについて、脚本家は陳述書(2)で「M氏も被告の要望というより尺詰めが理由だと言っていました。」と書いています(M氏はプロデューサー)。
せっかく原作者の要望に応えた部分だったのに、脚本家によって、映画制作側が原作者側の要望をあまり重視していなかったことが明らかにされてしまっています。
『シナリオ』誌への 脚本掲載
訴訟開始後に、原作者側の調査により、すでに『シナリオ』2006年7月号に脚本が無断掲載されていたことが判明しました。
脚本家側は当初は強気の主張をしていましたが、
控訴審第2準備書面では、
「控訴人らが慣行として認められると判断して行った行動が、被控訴人の感情を害したことは遺憾であり、最終的にこの行動の法的評価はともかく、今後は慎重に行動したいと考えているが、その当否は別途論ずべきことである。」
と、トーンダウンしています。
脚本家の方針とプロデューサー・監督の方針
原告準備書面1には次のように書かれています。
「言い換えれば、脚色の本質とは、他人の原作をダシに使って、脚本家の創作性を発揮することである。従って、この本質的な意味からいえば、「原作の忠実な再現」ということは脚色にはあり得ない。」
そして、脚本家側の裁判文書には次のような内容があります。
「もし、改変されることが嫌だというのであれば、当初から映画化の申し込みを受けなければいいのです。」(陳述書 K)
「原作者のY氏が、もしご自分の原作をどうしても守りたいということであれば、初めから映画化を承諾されなければよかったのです。」(陳述書 I)
嫌なら断ればいいという方針で映画制作側が統一されていれば、それほど問題はなかったかもしれません。
しかし、プロデューサー・監督の方針は、そうではありませんでした。
「原作に忠実な脚本に変更するのでなければ、映画化の話は中止していただきたい。」(被告準備書面1)
という2004年10月20日の申し入れに対し、10月末に次のように対応しています。
「さらに、Mはそこを何とかというように、H監督が被告と会って問題を確認し直すべきところは直す意向であると、伝えた。」(同上)
注:M氏はプロデューサー。
原作者側は、11月7日の協議への脚本家の出席を要求していました。
協議で脚本家が正直な意見を述べれば、原作者の許諾が得られないかもしれません。
10月末の時点では、まだ原作使用契約が結ばれていませんが、すでに俳優のスケジュールが押さえられ、クランクイン日も決まっていました。
許諾が得られず企画が潰れれば、制作会社にかなりの損害が出たと思われます。
結局、プロデューサーが伝言を伝えなかったため、11月7日の協議に脚本家は出席しませんでした。
原作者側は、協議で約束されたことを前提に、不本意ながら製作を承諾しました。
しかし、方言やクレジットに関する約束は守られませんでした。
11月中下旬に交わされた原作使用契約書は、「文藝春秋が映画化を許諾するときに通常使っている契約書の書式を使ったもの」(同上)で、地裁判決文によれば次のような規定がありましたが、契約が交わされた時期が遅かったので、改変を止めることはできませんでした。
第5条(著作者人格権の尊重)
1 ステューディオスリーは、第3条各項の利用に当たって、本件小説の内容、表現又は題名等、文藝春秋の書面による承諾なしで変更を加えてはならない。
ただし、映画化に際し、文藝春秋は、より適切な映像表現をする目的でステューディオスリーが本件小説に脚色することを認めるが、その程度は、事前にステューディオスリーが文藝春秋に提出する本件小説の使用範囲、方法、脚色計画の範囲を超えないものとする。
2 ステューディオスリーは、本件映画のプロット及び脚本を完成後、直ちに文藝春秋に対し3部提出し、本件映画のクランク・イン前に文藝春秋の了解を得るものとする。
3 文藝春秋は、本件映画が本件小説のイメージ又は著作者人格権を損なうと認めるときは、これに異議・修正を申し立てる権利を有する。
10月末には、原作者側に対し、次の内容が伝えられています。
「これに対し、同年10月末、MはTに対して、すでに11月8日がクランクインと決まっており、主演のTさんはじめ俳優さんたちのスケジュールも押えている、と言った。」(被告準備書面1)
注:最初のT氏は文藝春秋の編集者。主演のT氏とは別人。
この件について、原作者側は次のように述べています。
「そもそも、予約完結権契約しか結んでいなくて本契約(原作使用許諾契約)を結ばないうちに撮影日程を無断で決めてしまうのは、映画製作者側の勇み足であり、本来は認められないことなのであるが」(同上)
さらに、11月8日クランクインの件が10月末になって初めて知らされたことについて、疑念も交え次のように述べています。
「むしろ、映画製作者のMのほうが、ぎりぎりの時点まで引っ張って、被告がとても断れない状況に追い詰めるという作戦だったのかもしれないとさえ思われるくらいである。Mがそういう計算をしていたかどうかはともかく、せっぱつまった撮影スケジュールをもちだすことで、この脚本であれば映画製作を拒否するから撮影を中止するようにと、被告が言いつづけるのを困難にさせる効果は絶大であった。」(被告準備書面(4))
今後の予定
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件、『やわらかい生活』事件に続いて、原作改変問題全般について書きたいと思っていますが、まだ未定です。
書くとしてもしばらく先になると思います。
独立した記事として書く前に、部分的にこの記事に書き足す形で公開するかもしれません。
書きたい記事は色々あるのですが、文章を書くのが苦手で、いつ書けるかわからないので、ネタだけを箇条書きにしたような記事を書こうかと思っています。
原作改変問題全般より、こちらのほうを先に書くかもしれません。
『セクシー田中さん』事件に関するメモ
一度書いたのですが、書き直すことにしました。
部分的に、内容を残しておきます。
契約成立の認識
2023年月29日のオンライン会議で「小学館から、他局からのドラマ化の話を断ったことが説明され」(日本テレビ報告書)、日本テレビ側は許諾契約が成立したと認識しました。
それに対し小学館は、「あくまでも他局の企画案をペンディングして、具体的な条件を詰めていこうという打診に過ぎないということであり、正式に許諾したのは同年 6 月 10 日である」(同上)としています。
たとえば、オプション契約 → 許諾契約という流れの場合は、オプション契約の段階で他社を外して一対一の交渉になるので、他局の話を断ったというだけでは許諾契約成立と断言できません。
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』ドラマ化では、NHKは「 11.15 Y→X、ドラマ化に向けた作業を進めて良いと電話」(IPPG150806.pdf)を許諾契約成立と認識したようです。
それに対し、 講談社は「映像化許諾交渉を行う合意がされたにすぎないのであり、映像化を許諾するものではない」(『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』映像化契約解除事件)と主張しています。
東京地裁も映像化許諾契約の成立を認めていません。
契約書案の放置
小学館報告書によると、契約書案のやり取りは次のようになっています。
7月27日(28日?) 契約書案(小学館) 改変について小学館と原作者双方の同意が必要
9月26日(27日?) 修正案(日本テレビ) 合意相手を小学館に限定
10月23日 修正案(小学館) 小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正
「なお、放送終了までに日本テレビから戻しはなかった。」
日本テレビ報告書では、具体的な内容に触れずにあっさりした記述になっています。
「同年 7 月28 日に小学館から契約書ドラフトが日本テレビに届き、契約書内容が過去作品から大幅な変更があり、検討に時間を要したため、日本テレビの回答は同年 9 月 27 日であった。結果的に、放送前には締結に至らなかった。」
小学館による修正案に納得できなかったためか、日本テレビは契約書案を放置しています。
放置したからと言って、原作者の権利が消えるわけではないのですが。
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』ドラマ化では、NHKの対応は次のようなものでした。
「脚本確認条項は、編集権に関する介入であると判断し、契約書案についての検討結果を回答しなかった」(IPPG150806.pdf)
改変内容
短大進学の件については多くの人が語っているので、次の件を書きます。
「第 6 話では、予算の関係で進吾及び小西が 2 人で飲む店をサバランに変更したい旨の提案が制作サイドからなされたが、本件原作者は、「予算の関係で、進吾&小西が 2 人で飲む店をサバランに変えたい件は、絶対 NG です」と指摘したため、2 人が飲む店をサバランに変更するという提案は実行されていない。」(日本テレビ報告書p.80(pdf.86))
2人が飲むことに対し朱里ちゃんがキレてるので、朱里ちゃん行きつけの店であるSabalanで飲むのはまずいのです。
積極的に変えたいのではなく予算の都合だというのはわかるんですが、キャラの心情的に不自然になってしまいます。
原作改変:『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件
2015年、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』ドラマ化の裁判で、NHKが敗訴したことが話題になりました。
そのとき色々と調べて、『やわらかい生活』事件やハリウッドの事情など、原作改変に関する情報を紹介しました。
あれから9年ほどがたちますが、業界の問題点は残ったままで、最悪の事件まで起こってしまいました。
今回改めて原作改変問題について調べなおし、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件、『やわらかい生活』事件、原作改変問題全般、の3回に分けて、情報をまとめてみたいと思います。
ただし、わたしは法律に関しては素人なので、そのことを念頭にお読みください。
事件の概要
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件とは、
NHKが辻村深月氏の小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ化を企画
脚本が原作者側の承認を得られず制作中止
NHKは約6000万円の損害賠償を求めて、原作者から管理委託を受けていた講談社を提訴
東京地裁は映像化許諾契約の成立を認めず、NHK敗訴
という事件です。
時系列に沿った細かな流れは、「IPPG150806.pdf」に載っています。
「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 - Wikipedia」の「幻のテレビドラマ化」の項は簡潔で分かりやすいのですが、次の部分は注意が必要です。
「同年11月15日 - 講談社が口頭で許諾の意思を示す」とありますが、
講談社は、「映像化許諾交渉を行う合意がされたにすぎないのであり、映像化を許諾するものではない」(「『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』映像化契約解除事件」)と主張しています。
東京地裁も映像化許諾契約の成立を認めていません。
主な資料
講談社見解: 『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』に関してNHKより提訴された裁判に対する講談社の見解
判決紹介1: IPPG150806.pdf
判決紹介2: 『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』映像化契約解除事件
残念ながら判決文は判例集未登載のようなので、この3件が簡単に見れる主な資料です。
上から順番に読んでいくとわかりやすいと思います。
報道
サイゾー記事(2012.4.18): NHKが講談社に激怒!長澤まさみ主演ドラマをめぐる”原作モノ”の罠
有料部分は未読ですが、無料部分では、ドラマの「制作関係者」などの発言を紹介。
読売記事(2012.6.21): ドラマ許諾を撮影直前撤回…NHKが講談社提訴
MSN産経記事: NHKが講談社を提訴 辻村深月さんの小説ドラマ化でトラブル 東京地裁
日経記事(2012.6.21): NHKが講談社を提訴 小説のドラマ化巡り
サンスポ記事(2012.6.22): 前代未聞!長澤主演ドラマ、撮影直前に白紙
J-CASTテレビウォッチ記事(2012.6.22): 長澤まさみドラマ制作中止でNHKが講談社提訴
日経トレンディネット記事(2012.9.3 『日経エンタテインメント!』2012年9月号記事転載): 消えた辻村深月原作ドラマ――NHKと講談社が訴訟騒動に
朝日記事(2015.4.28): NHKの訴え棄却 原作のドラマ化契約解除巡り東京地裁
NHK記事(2015.12.24): ドラマ制作巡る裁判 NHKと講談社が和解
千葉日報記事(2015.12.24): 辻村深月さん小説の訴訟で和解 NHKと講談社
四国新聞記事(2015.12.24): 辻村深月さん小説の訴訟で和解/NHKと講談社
千葉日報や四国新聞の記事は、共同通信配信記事かもしれません。
その他の資料
大森寿美男「脚色の意志と原作者の意向」(『原作と同じじゃなきゃダメですか?』 発行:シナリオ作家協会 2013年)
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』脚本家の寄稿。『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』の名は出ていませんが、それらしき記述あり。時期は地裁判決より前。
トークショーレポート(2016.4.3): 中島丈博 × 浅田次郎 × 杉田成道 × 内山聖子 × 十川誠志 × 林宏司 × 鈴木宣幸 トークショー レポート(3) - 私の中の見えない炎
講談社の鈴木宣幸氏の関連発言あり。時期は地裁判決を経た和解後。
レポート(1)によれば、「以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください」とのこと。
契約書案
判決紹介1によれば、契約関係は次のような流れになっています(XはNHK、Yは講談社)。
「11.15 Y→X、ドラマ化に向けた作業を進めて良いと電話」
「12.22 XY、脚本打ち合わせ、Y→X、映像化許諾契約書案送付」
「原告は、脚本確認条項は、編集権に関する介入であると判断し、契約書案についての検討結果を回答しなかった。」
NHKは、2011年11月15日の電話で、映像化許諾契約が成立したと受け取ったようです。
その後、12月22日に講談社から映像化許諾契約書案が送付されています。
内容は次のようなものです(判決紹介2より引用)。
「 (ア)Xは、本件映像作品のプロット及び脚本を直ちにYに提出し、Yの確認及び承認を経て本件映像作品の制作を開始するものとする(12条1項)。
(イ)Yは、前記(ア)の本件映像作品のプロット及び脚本の確認において、Xに対し、合理的な事由がある場合、上記プロット及び脚本の修正を求めることができる(同条2項)。
(ウ)Xは、前記(ア)の承認が得られない場合、本件映像作品の制作を開始することができない(同条3項)。」
契約成立(というNHKの認識)より契約書案があとになっているのは、
「契約書は制作や放送が終了してから日付を遡らせて作成されることも多く、」(NHKの主張(判決紹介2))という事情です。
東京地裁は映像化許諾契約の成立自体を認めていませんが、
仮に11月15日に契約が成立したとしても、12月22日の契約書案の内容であれば、原作者側の脚本承認なしに制作を開始することはできません。
NHKが「脚本確認条項は、編集権に関する介入であると判断し、契約書案についての検討結果を回答しなかった」(判決紹介1)のは不思議です。
常識的に考えれば、受け入れられない契約書案である場合にこそ、変更を求めて交渉に入る必要があるはずです。
『エンタテインメント法実務』掲載のコラム「契約の話~初心者向け実践的アドバイス~」(唐津真美)には、次のように書かれています。
「契約が口頭でも成立するということは、「契約書にサインしなければ安心」とはいえないことも意味する。」
「ビジネスを始めたということは、両当事者の間に何らかの合意があるはずであり、その中身に関して客観的に存在するのは未署名の契約書だけという状況においては、「契約書が提示され、その後その相手とビジネスを始めたということは、契約内容について同意が成立したことの証である」という理屈が成り立つ余地があるのだ。」
ということは、講談社の契約書案に不満があったのにもかかわらず回答しなかったのは、NHKにとって不利なのではないかと思われます。
契約の種類
契約内容のほかに、契約の種類の問題もあります。
11月15日に口頭で何らかの契約が結ばれたとしても、映像化許諾契約ではない可能性があるからです。
講談社側は次のように述べています。
「映像化許諾交渉を行う合意がされたにすぎないのであり、映像化を許諾するものではない」(判決紹介2)
「電話しまして、口約束だけど脚本の開発がOKで、映像化全体の許諾をしたわけではないです」(トークショーレポート)
別の事件での例を挙げると、映画『やわらかい生活』では、
「著作権使用予約完結権契約書」→「原作使用許諾契約書」
という契約の流れななっています(予約完結権契約とは、オプション契約と同じものだと思われます)。
原作者側は『やわらかい生活』裁判の被告準備書面(1)で、
「予約完結権契約しか結んでいなくて本契約(原作使用許諾契約)を結ばないうちに撮影日程を無断で決めてしまうのは、映画製作者側の勇み足であり、本来は認められないことなのであるが」
と述べています。
口頭での契約
「口頭による合意をもって契約を成立させることが業界慣行として行われており、」(NHKの主張(判決紹介2))
「NHK側は「口頭での合意が正式契約であることは、業界での慣習。講談社はドラマ完成のための努力を放棄した」と主張。」(読売記事)
NHKは 「両社間で契約書は作成されていなかったが、テレビドラマの制作では番組完成後に契約書を作成する慣行があると指摘し、「担当者間の口頭の了承があり、契約は成立している」と主張。」(MSN産経記事)
「NHKは「業界の慣習では、口頭でも契約は成立する」と主張。」(日経記事)
業界慣習を持ち出さなくとも、日本の法律で口頭でも契約が成り立つというのはその通りです。
「 第五百二十二条 2 契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。」(民法)
不思議なのは、日本の映像業界は改変をしたがるのにもかかわらず、事前の契約書作りに消極的なことです。
ハリウッドも改変をしたがるのは同じですが、契約書を重視している点が違います(法律の違いもあるようですが)。
改変を行うのであれば、改変のできる契約書を事前に交わしておくほうが自然なやり方だと思います。
契約書の日付
「映像作品の放映後に契約締結日をバックデートして契約が締結されることが多かった。」(判決紹介1)
「契約書は制作や放送が終了してから日付を遡らせて作成されることも多く、」(NHKの主張(判決紹介2))
「XとYとの間の映像化許諾契約に係る契約書は、映像作品の制作が終了した後に作成され、又は終了後も作成されないことが常態化していたものであるが、」(判決紹介2)
「そもそも、正式な“契約書”を交わすのは撮影が始まって以降、といったことが慣例となっているドラマ業界。」(サイゾー記事)
NHKは 「両社間で契約書は作成されていなかったが、テレビドラマの制作では番組完成後に契約書を作成する慣行があると指摘し、「担当者間の口頭の了承があり、契約は成立している」と主張。」(MSN産経記事)
このような契約の仕方が行われているので、原作者が納得していない状態で強引に制作が進められても、契約書の日付を遡らせることで、最初から合意の契約のもとに進んでいたような形になってしまいます。
契約前の制作開始
「原作使用許諾契約の締結前に映像作品の制作が開始されることは実務では珍しくないが、」(判決紹介1のコメント)
契約前または契約内容が確定していない状況で出演者のスケジュールまで押さえてしまうことで、後に引けなくなって制作を強行してしまう問題があるようです。
「半分程度は」との主張
「「訴状には、脚本家が考えた変更点のうち半分程度は原作者に納得してもらうのが映像業界の常識だとか、こちらの感覚では理解しがたいことがさらりと書かれています。」(日経トレンディネット記事の講談社編集部発言)
「NHKは、訴状で「脚本家が最初に考えた原作の変更点のうち、半分程度は脚色の必要性を説明することで原作者に納得してもらい、残りの半分程度は原作者の意向を優先して脚本家が脚本を書き直すというのがテレビ業界では一般的」と説明。」(朝日記事)
この主張や放送後の契約書作成に関する主張は、納得はできないものの、法廷戦術とはそのようなものだろうなとは思います。
それにくらべると、「検閲」発言は不可解です。
「検閲」発言と契約書案後の流れ
「裁判のなかで、証人に立ったNHK幹部は、脚本の確認について、「放送局として、我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せるということを認めてしまうこと自体が認められない。ほとんど検閲に当たります」と述べました。」(講談社見解)
「NHKの担当者は「放送局として我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せることを認めてしまうこと自体がほとんど検閲にあたる」と証人尋問で訴えた。」(朝日記事)
「原告は、脚本確認条項は、編集権に関する介入であると判断し、契約書案についての検討結果を回答しなかった。」(判決紹介1)
原作者側は、不本意な改変を認めない立場でした。
12月22日には、脚本確認条項のある契約書案が送られました。
NHKが譲歩するつもりがあるのであれば、話を進める意味はあります。
しかし、脚本確認条項が「編集権に関する介入」であり「ほとんど検閲」なのであれば、NHKにとっては絶対に認められないことのはずです。
根本的なところで折り合えないのですから、企画をボツにするしかありません。
しかしNHKは、契約書案についての検討結果を回答せずに交渉を続けました。
判決紹介1によれば、その後の流れは次のようになっています(XはNHK、Yは講談社)。
「1.24 Y→X、第 1 話、第 2 話のコメントは第 3 話、第 4 話を見てからと返事。
X、Yの質問に対し、撮影開始は 2 月 6 日予定と回答
1.25 X→Y、第 3 話、第 4 話の準備稿送付」
講談社は次のように述べています(講談社見解)。
「原作がどのように脚色されるのかを把握するため、弊社は再三、NHKに対し全四話の
プロットを見せて頂きたいとお願いしましたが、それは叶えられず、クランクイン予定日
の2週間前になって、ようやく全四話までの準備稿が届けられました。」
「NHKは自らの一方的な判断で制作準備を進め、クランクイン予定日を設定していまし
た。」
和解
地裁判決後NHKは控訴しましたが、2015年12月24日に和解が成立しました。
「NHKと講談社は「本件では、第1審でNHKの請求が棄却されました。今回、東京高等裁判所の和解勧告に基づき、第1審判決を前提として、紛争の早期解決のため和解に至りました」というコメントを出しました。」(NHK記事)
「講談社によると、和解条件を明らかにしないことで両者が合意した。」(千葉日報・四国新聞記事)
「講談社は24日、NHKとの連名として「東京高裁の和解勧告に基づき、一審判決を前提として紛争の早期解決のため和解に至った」とコメントした。」(四国新聞記事。千葉日報記事は同文だが英数字が全角)
和解条件は明らかになっていませんが、NHKが敗訴した「第1審判決を前提として」ということなので、講談社に有利な和解条件なのではないかと思われます。
改変内容
第1話の脚本には、「原作にはない主人公が実家に立ち寄るシーン」(判決紹介1)がありました。
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』は、母と娘の確執を描いています。
主人公は、故郷の山梨に帰ってもビジネスホテルに泊まり、母親には帰郷を秘密にし、夫にも口止めをしています。
「戻ってきたことがバレたのだろうか。」とか「両親の知り合いに姿を見られたら、その瞬間にアウトだ。」とか思うほどの緊張した状態です。
母親とは会わないという強い意志が感じられます。
それなのに第1話でいきなり実家に立ち寄らせることは大きな改変ですし、後半の展開にも影響してきます。
母親と会いたがらないのは確執があるからです。
主人公が学生のころ衝撃を受ける出来事がありましたが(文庫の 361-365ページ)、脚本ではこの部分がカットされていたそうです(サンスポ記事とJ-CASTテレビウォッチ記事)。確執の原因も削られていたのです。
『セクシー田中さん』事件での日本テレビの説明がわかりにくい件
セクシー田中さん|日本テレビ
こちらのページに、次のような説明があります。
「最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております」
原作者の芦原妃名子さんの説明によれば、ドラマ『セクシー田中さん』の問題は、原作者が大幅改変は許諾していないのに大幅改変が行われようとしたことです。
脚本は芦原さんにより問題点が修正されたので、大幅改変は未遂です。
決定原稿は原作者本人の修正を経て出来上がっているので、原作者から見てOKなのは当然のことです。
日本テレビの説明は、初期段階のプロットや脚本の問題に触れずに、決定原稿に関して「許諾」という(嘘ではないがやや不自然な)言葉を使うことで、許諾関係で問題がなかったかのような印象を与える文章になっています。
【会見詳報】日テレ社長「極めて厳粛に受け止め」◆契約書はどうなっていた?「セクシー田中さん」問題:時事ドットコム
日本テレビの記者会見では、この件に関して次のようなやり取りがありました。
「 ー死去当日に日本テレビから出されたコメントの中では、「最終的に許諾をいただけた原稿」を前提に放送されているとあった。これは、この時点でどういう根拠があって発信したのか。
福田専務:根拠があるので、あのような申し上げ方になった。
石沢社長:私も冒頭で申し上げた通り、しっかり公表できることについてHPでご報告申し上げたということですので、報告できる話として公表しております。」
この質問は、日本テレビによる表現に引きずられています。
すでに述べたように、決定原稿がOKなのは当然のことで、問題なのはそれ以前の部分です。
そして、それに対する回答も、嘘ではないが不自然なものになっています。
最後になりますが、芦原妃名子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
ドラマ『セクシー田中さん』は、原作準拠で良い出来でした
ドラマ『セクシー田中さん』の感想はそのうち書こうと思ってたんですが、騒ぎによって誤解を受けているようなので、今回はその点について。
騒ぎはこちら。
原作者の芦原妃名子氏は、
「これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して大変失礼な条件だということは理解していましたので」
と遠慮気味に書いていらっしゃいますが、業界の慣習はともかくとして、法的には当然の権利です。
原作改変と原作者については、以前こちらの記事で書きました。
誤解している人がいるのは次の点です。
1.ドラマ版は原作から大幅に改変されている(からダメだ)
ドラマ版は大幅に改変されているから観ないというようなことを言っている人がいますが、それは誤解です。
ドラマが面白かったので、原作はどんな感じなんだろうと気になって読んでみたんですが、キャラクターの性格付けもストーリーも印象的なセリフも、予想していた以上に原作準拠で驚きました。
原作者の説明によれば、大幅に改変されそうになったのを、原作者が修正して原作寄りにしたそうです。つまり、大幅改変は未遂です。
ドラマ版の魅力として演者の好演がありますが、メインキャラに関して言えば、(外見は別として)演者の個性で上書きするのではなく、原作キャラの土台の上にキャラが出来上がっているように感じました。
また、ドラマ終了のころは次のような誤解も結構あったようです。
2.ドラマ版は原作から大幅に改変されている(から素晴らしい)
8話までの脚本は脚本家名義、9・10話の脚本は原作者名義になっています。
それに加え脚本家のインスタでの発言もあり、8話までが好きで9・10話が嫌いな人の中に、脚本家を高く評価して原作者を非難している人がいます。
でも、9・10話の評価はともかくとして、8話までも(原作者による修正の結果)原作の要素が強いんですよね。なのに原作者が8話までのファンから非難されているのです。
最後に。
確かに脚本家のインスタでの発言は原作者に対してトゲのある物言いだと感じました。
しかし、『セクシー田中さん』は、「びっくりするくらい無神経」な人であっても悪い人とは限らないし、そういう人とも心が通じ合うこともあるというような内容の作品なので、普段より広い心で推移を見守ろうと思います。朱里ちゃんだって「笙野殺す!」とか言わなくなったことだし。
味覇の中身が変わる件は、どのように報じられたか
【報告】ねとらぼを退職しました(&この10年でやってきたこと振り返り)|てっけん|note
この記事で触れられている2015年の味覇の件が懐かしかったので、報道の推移を紹介します(当時も書いたのですが新記事にしてみました)。
2月9日 ツイッター
ツイッターでは、報道が始まる前からぽつりぽつりと情報が出ています。
その中でも古いのは次のツイート。この件をツイートするためだけに作られたと思われるアカウントによるものです。
https://twitter.com/Bak_BC/status/564729589402849280
https://twitter.com/Bak_BC/status/564737830467801090
3月11日 2ちゃんねる
「味覇(ウェイパー) 味覇(ウェイパー)4匙目」の20
「確実に味が変わる」と書かれています。
3月20日 WooRis(ウーリス)
[アーカイブ] コレだけで本格料理人!家族から「美味しい」と言われる料理の裏ワザとは
タイトルでは味覇の名前は挙げられていません。まず一般的な料理の話があり、次に味覇が紹介されています。
そして最後に、「ところで」という言葉に続けて、中身が変わることが書かれています。
3月26日 アサ芸プラス
タモリも愛用する隠し味「入れるだけで料理が旨くなる」魔法の調味料とは?
こちらの記事でもタイトルでは味覇の名前は挙げられていません。中盤の「ところが」以降の部分で中身が変わることが書かれています。
3月27日 nikkanCare.ism(ニッカンケアイズム)
[アーカイブ] 「味覇」は中身が変わる!? 男の料理に絶対抑えておくべき調味料3つ
味覇を含む「調味料3つ」について語ったあとの最後の部分で、「ところが」という言葉に続けて、味覇の中身が変わることにふれています。
3月30日 IRORIO(イロリオ)
[アーカイブ] 「味覇」の中身が変わる!創味食品「会社同士のトラブル、申し訳ない」
「今回は創味食品側のみにお話を伺ったが」とのこと。
3月31日 ねとらぼ
人気調味料「味覇(ウェイパァー)」の中身が変わる? 製造元との契約トラブル原因 食い違う両社の見解
双方に取材。
統一教会関連メモ
『私のみた勝共運動』に見る、勝共連合(統一教会系)の各界への浸透
1978年国会での統一教会関連質疑
統一教会と学生新聞
統一教会に関するメモ程度の情報は、この記事に追記していく予定です。
NHK『英語でしゃべらナイト』に『ワシントン・タイムズ』が登場(2006年)。
(しゃべらナイトinワシントンDC)
「在米日本大使館からの依頼を受けて」とのこと。
NHKでは、『100分 de 名著』の番組セット本棚に文鮮明の自叙伝『平和を愛する世界人として』が置かれていたということもありました(2013-2014年頃)。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sallymalachite/status/1549508744392110080
上記ブックマークコメントで紹介されていた鈴木エイト氏の記事。
やや日刊カルト新聞 NHKの番組セットに統一教会(家庭連合)教祖の自叙伝が陳列
記事によると、問い合わせに対しNHKは「比較的安価な古本を大量に調達しセットとしました」と回答。
その可能性は高いとは思いますが、「信者の間でも話題となっていた」ぐらいなのに、NHKが1年以上も放置していたのは気が付かなさすぎです。
『平和を愛する世界人として』という本は、武雄市図書館の購入資料一覧にもありました。
武雄市図書館にTSUTAYAの在庫が押しつけられる? - Togetter
[武雄市教育委員会] H27-07-13 武市教生第66号 初期蔵書入れ替え費で購入された資料一覧_1.pdf - Google ドライブ
このリストのNo.897と898の2冊です。
当時指摘して、たくさんはてなスターをいただきました。
武雄市図書館にTSUTAYAの在庫が押しつけられる - Togetterまとめ @shop_TSUTAYA
コメント欄にも書いたけど、文鮮明の本まである。
2015/08/08 21:56
多分この件も、安い古本を大量にかき集めた中に混じっていたということでしょう。
たとえば新興宗教の資料という意味ならば、この本が図書館にあってもよいとは思いますが、単なるチェック漏れの可能性が高そうです。
去年(2021年)書いた統一教会に関する記事は、うまく書けていないし今年書いた記事とダブっているところもあるので消しました。あとで部分的にこのページに転記するかもしれません。