原作改変:『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件
2015年、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』ドラマ化の裁判で、NHKが敗訴したことが話題になりました。
そのとき色々と調べて、『やわらかい生活』事件やハリウッドの事情など、原作改変に関する情報を紹介しました。
あれから9年ほどがたちますが、業界の問題点は残ったままで、最悪の事件まで起こってしまいました。
今回改めて原作改変問題について調べなおし、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件、『やわらかい生活』事件、原作改変問題全般、の3回に分けて、情報をまとめてみたいと思います。
ただし、わたしは法律に関しては素人なので、そのことを念頭にお読みください。
事件の概要
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件とは、
NHKが辻村深月氏の小説『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ化を企画
脚本が原作者側の承認を得られず制作中止
NHKは約6000万円の損害賠償を求めて、原作者から管理委託を受けていた講談社を提訴
東京地裁は映像化許諾契約の成立を認めず、NHK敗訴
という事件です。
時系列に沿った細かな流れは、「IPPG150806.pdf」に載っています。
「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 - Wikipedia」の「幻のテレビドラマ化」の項は簡潔で分かりやすいのですが、次の部分は注意が必要です。
「同年11月15日 - 講談社が口頭で許諾の意思を示す」とありますが、
講談社は、「映像化許諾交渉を行う合意がされたにすぎないのであり、映像化を許諾するものではない」(「『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』映像化契約解除事件」)と主張しています。
東京地裁も映像化許諾契約の成立を認めていません。
主な資料
講談社見解: 『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』に関してNHKより提訴された裁判に対する講談社の見解
判決紹介1: IPPG150806.pdf
判決紹介2: 『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』映像化契約解除事件
残念ながら判決文は判例集未登載のようなので、この3件が簡単に見れる主な資料です。
上から順番に読んでいくとわかりやすいと思います。
報道
サイゾー記事(2012.4.18): NHKが講談社に激怒!長澤まさみ主演ドラマをめぐる”原作モノ”の罠
有料部分は未読ですが、無料部分では、ドラマの「制作関係者」などの発言を紹介。
読売記事(2012.6.21): ドラマ許諾を撮影直前撤回…NHKが講談社提訴
MSN産経記事: NHKが講談社を提訴 辻村深月さんの小説ドラマ化でトラブル 東京地裁
日経記事(2012.6.21): NHKが講談社を提訴 小説のドラマ化巡り
サンスポ記事(2012.6.22): 前代未聞!長澤主演ドラマ、撮影直前に白紙
J-CASTテレビウォッチ記事(2012.6.22): 長澤まさみドラマ制作中止でNHKが講談社提訴
日経トレンディネット記事(2012.9.3 『日経エンタテインメント!』2012年9月号記事転載): 消えた辻村深月原作ドラマ――NHKと講談社が訴訟騒動に
朝日記事(2015.4.28): NHKの訴え棄却 原作のドラマ化契約解除巡り東京地裁
NHK記事(2015.12.24): ドラマ制作巡る裁判 NHKと講談社が和解
千葉日報記事(2015.12.24): 辻村深月さん小説の訴訟で和解 NHKと講談社
四国新聞記事(2015.12.24): 辻村深月さん小説の訴訟で和解/NHKと講談社
千葉日報や四国新聞の記事は、共同通信配信記事かもしれません。
その他の資料
大森寿美男「脚色の意志と原作者の意向」(『原作と同じじゃなきゃダメですか?』 発行:シナリオ作家協会 2013年)
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』脚本家の寄稿。『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』の名は出ていませんが、それらしき記述あり。時期は地裁判決より前。
トークショーレポート(2016.4.3): 中島丈博 × 浅田次郎 × 杉田成道 × 内山聖子 × 十川誠志 × 林宏司 × 鈴木宣幸 トークショー レポート(3) - 私の中の見えない炎
講談社の鈴木宣幸氏の関連発言あり。時期は地裁判決を経た和解後。
レポート(1)によれば、「以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください」とのこと。
契約書案
判決紹介1によれば、契約関係は次のような流れになっています(XはNHK、Yは講談社)。
「11.15 Y→X、ドラマ化に向けた作業を進めて良いと電話」
「12.22 XY、脚本打ち合わせ、Y→X、映像化許諾契約書案送付」
「原告は、脚本確認条項は、編集権に関する介入であると判断し、契約書案についての検討結果を回答しなかった。」
NHKは、2011年11月15日の電話で、映像化許諾契約が成立したと受け取ったようです。
その後、12月22日に講談社から映像化許諾契約書案が送付されています。
内容は次のようなものです(判決紹介2より引用)。
「 (ア)Xは、本件映像作品のプロット及び脚本を直ちにYに提出し、Yの確認及び承認を経て本件映像作品の制作を開始するものとする(12条1項)。
(イ)Yは、前記(ア)の本件映像作品のプロット及び脚本の確認において、Xに対し、合理的な事由がある場合、上記プロット及び脚本の修正を求めることができる(同条2項)。
(ウ)Xは、前記(ア)の承認が得られない場合、本件映像作品の制作を開始することができない(同条3項)。」
契約成立(というNHKの認識)より契約書案があとになっているのは、
「契約書は制作や放送が終了してから日付を遡らせて作成されることも多く、」(NHKの主張(判決紹介2))という事情です。
東京地裁は映像化許諾契約の成立自体を認めていませんが、
仮に11月15日に契約が成立したとしても、12月22日の契約書案の内容であれば、原作者側の脚本承認なしに制作を開始することはできません。
NHKが「脚本確認条項は、編集権に関する介入であると判断し、契約書案についての検討結果を回答しなかった」(判決紹介1)のは不思議です。
常識的に考えれば、受け入れられない契約書案である場合にこそ、変更を求めて交渉に入る必要があるはずです。
『エンタテインメント法実務』掲載のコラム「契約の話~初心者向け実践的アドバイス~」(唐津真美)には、次のように書かれています。
「契約が口頭でも成立するということは、「契約書にサインしなければ安心」とはいえないことも意味する。」
「ビジネスを始めたということは、両当事者の間に何らかの合意があるはずであり、その中身に関して客観的に存在するのは未署名の契約書だけという状況においては、「契約書が提示され、その後その相手とビジネスを始めたということは、契約内容について同意が成立したことの証である」という理屈が成り立つ余地があるのだ。」
ということは、講談社の契約書案に不満があったのにもかかわらず回答しなかったのは、NHKにとって不利なのではないかと思われます。
契約の種類
契約内容のほかに、契約の種類の問題もあります。
11月15日に口頭で何らかの契約が結ばれたとしても、映像化許諾契約ではない可能性があるからです。
講談社側は次のように述べています。
「映像化許諾交渉を行う合意がされたにすぎないのであり、映像化を許諾するものではない」(判決紹介2)
「電話しまして、口約束だけど脚本の開発がOKで、映像化全体の許諾をしたわけではないです」(トークショーレポート)
別の事件での例を挙げると、映画『やわらかい生活』では、
「著作権使用予約完結権契約書」→「原作使用許諾契約書」
という契約の流れななっています(予約完結権契約とは、オプション契約と同じものだと思われます)。
原作者側は『やわらかい生活』裁判の被告準備書面(1)で、
「予約完結権契約しか結んでいなくて本契約(原作使用許諾契約)を結ばないうちに撮影日程を無断で決めてしまうのは、映画製作者側の勇み足であり、本来は認められないことなのであるが」
と述べています。
口頭での契約
「口頭による合意をもって契約を成立させることが業界慣行として行われており、」(NHKの主張(判決紹介2))
「NHK側は「口頭での合意が正式契約であることは、業界での慣習。講談社はドラマ完成のための努力を放棄した」と主張。」(読売記事)
NHKは 「両社間で契約書は作成されていなかったが、テレビドラマの制作では番組完成後に契約書を作成する慣行があると指摘し、「担当者間の口頭の了承があり、契約は成立している」と主張。」(MSN産経記事)
「NHKは「業界の慣習では、口頭でも契約は成立する」と主張。」(日経記事)
業界慣習を持ち出さなくとも、日本の法律で口頭でも契約が成り立つというのはその通りです。
「 第五百二十二条 2 契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。」(民法)
不思議なのは、日本の映像業界は改変をしたがるのにもかかわらず、事前の契約書作りに消極的なことです。
ハリウッドも改変をしたがるのは同じですが、契約書を重視している点が違います(法律の違いもあるようですが)。
改変を行うのであれば、改変のできる契約書を事前に交わしておくほうが自然なやり方だと思います。
契約書の日付
「映像作品の放映後に契約締結日をバックデートして契約が締結されることが多かった。」(判決紹介1)
「契約書は制作や放送が終了してから日付を遡らせて作成されることも多く、」(NHKの主張(判決紹介2))
「XとYとの間の映像化許諾契約に係る契約書は、映像作品の制作が終了した後に作成され、又は終了後も作成されないことが常態化していたものであるが、」(判決紹介2)
「そもそも、正式な“契約書”を交わすのは撮影が始まって以降、といったことが慣例となっているドラマ業界。」(サイゾー記事)
NHKは 「両社間で契約書は作成されていなかったが、テレビドラマの制作では番組完成後に契約書を作成する慣行があると指摘し、「担当者間の口頭の了承があり、契約は成立している」と主張。」(MSN産経記事)
このような契約の仕方が行われているので、原作者が納得していない状態で強引に制作が進められても、契約書の日付を遡らせることで、最初から合意の契約のもとに進んでいたような形になってしまいます。
契約前の制作開始
「原作使用許諾契約の締結前に映像作品の制作が開始されることは実務では珍しくないが、」(判決紹介1のコメント)
契約前または契約内容が確定していない状況で出演者のスケジュールまで押さえてしまうことで、後に引けなくなって制作を強行してしまう問題があるようです。
「半分程度は」との主張
「「訴状には、脚本家が考えた変更点のうち半分程度は原作者に納得してもらうのが映像業界の常識だとか、こちらの感覚では理解しがたいことがさらりと書かれています。」(日経トレンディネット記事の講談社編集部発言)
「NHKは、訴状で「脚本家が最初に考えた原作の変更点のうち、半分程度は脚色の必要性を説明することで原作者に納得してもらい、残りの半分程度は原作者の意向を優先して脚本家が脚本を書き直すというのがテレビ業界では一般的」と説明。」(朝日記事)
この主張や放送後の契約書作成に関する主張は、納得はできないものの、法廷戦術とはそのようなものだろうなとは思います。
それにくらべると、「検閲」発言は不可解です。
「検閲」発言と契約書案後の流れ
「裁判のなかで、証人に立ったNHK幹部は、脚本の確認について、「放送局として、我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せるということを認めてしまうこと自体が認められない。ほとんど検閲に当たります」と述べました。」(講談社見解)
「NHKの担当者は「放送局として我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せることを認めてしまうこと自体がほとんど検閲にあたる」と証人尋問で訴えた。」(朝日記事)
「原告は、脚本確認条項は、編集権に関する介入であると判断し、契約書案についての検討結果を回答しなかった。」(判決紹介1)
原作者側は、不本意な改変を認めない立場でした。
12月22日には、脚本確認条項のある契約書案が送られました。
NHKが譲歩するつもりがあるのであれば、話を進める意味はあります。
しかし、脚本確認条項が「編集権に関する介入」であり「ほとんど検閲」なのであれば、NHKにとっては絶対に認められないことのはずです。
根本的なところで折り合えないのですから、企画をボツにするしかありません。
しかしNHKは、契約書案についての検討結果を回答せずに交渉を続けました。
判決紹介1によれば、その後の流れは次のようになっています(XはNHK、Yは講談社)。
「1.24 Y→X、第 1 話、第 2 話のコメントは第 3 話、第 4 話を見てからと返事。
X、Yの質問に対し、撮影開始は 2 月 6 日予定と回答
1.25 X→Y、第 3 話、第 4 話の準備稿送付」
講談社は次のように述べています(講談社見解)。
「原作がどのように脚色されるのかを把握するため、弊社は再三、NHKに対し全四話の
プロットを見せて頂きたいとお願いしましたが、それは叶えられず、クランクイン予定日
の2週間前になって、ようやく全四話までの準備稿が届けられました。」
「NHKは自らの一方的な判断で制作準備を進め、クランクイン予定日を設定していまし
た。」
和解
地裁判決後NHKは控訴しましたが、2015年12月24日に和解が成立しました。
「NHKと講談社は「本件では、第1審でNHKの請求が棄却されました。今回、東京高等裁判所の和解勧告に基づき、第1審判決を前提として、紛争の早期解決のため和解に至りました」というコメントを出しました。」(NHK記事)
「講談社によると、和解条件を明らかにしないことで両者が合意した。」(千葉日報・四国新聞記事)
「講談社は24日、NHKとの連名として「東京高裁の和解勧告に基づき、一審判決を前提として紛争の早期解決のため和解に至った」とコメントした。」(四国新聞記事。千葉日報記事は同文だが英数字が全角)
和解条件は明らかになっていませんが、NHKが敗訴した「第1審判決を前提として」ということなので、講談社に有利な和解条件なのではないかと思われます。
改変内容
第1話の脚本には、「原作にはない主人公が実家に立ち寄るシーン」(判決紹介1)がありました。
『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』は、母と娘の確執を描いています。
主人公は、故郷の山梨に帰ってもビジネスホテルに泊まり、母親には帰郷を秘密にし、夫にも口止めをしています。
「戻ってきたことがバレたのだろうか。」とか「両親の知り合いに姿を見られたら、その瞬間にアウトだ。」とか思うほどの緊張した状態です。
母親とは会わないという強い意志が感じられます。
それなのに第1話でいきなり実家に立ち寄らせることは大きな改変ですし、後半の展開にも影響してきます。
母親と会いたがらないのは確執があるからです。
主人公が学生のころ衝撃を受ける出来事がありましたが(文庫の 361-365ページ)、脚本ではこの部分がカットされていたそうです(サンスポ記事とJ-CASTテレビウォッチ記事)。確執の原因も削られていたのです。