原作改変:『やわらかい生活』事件


原作改変:『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件

今回は『やわらかい生活』事件を取り上げます。
わたしは法律に関しては素人なので、そのことを念頭にお読みください。


 事件の概要

『やわらかい生活』事件とは、
絲山秋子氏の小説『イッツ・オンリー・トーク』が、絲山氏が納得できない改変された内容で映画化(映画タイトル『やわらかい生活』)
その後、脚本の書籍収録を絲山氏が許諾拒否
それに対し、脚本家荒井晴彦氏と社団法人シナリオ作家協会が原作者を提訴
東京地裁と知財高裁で脚本家側が敗訴、最高裁は上告を不受理
という事件です。

裁判は脚本の書籍掲載に関するものですが、本記事では、原作が改変された経緯を中心に扱います。


 主な資料

東京地裁判決: 日本ユニ著作権センター/判例全文・2010/09/10
知財高裁判決: 日本ユニ著作権センター/判例全文・2011/03/23

地裁判決の「事実経緯」と高裁判決の「事実認定」に事件の流れが書かれています。地裁判決では、原作使用許諾契約の内容が詳しく紹介されています。

裁判における立場は次のようになっています。
脚本家側=原告=控訴人 脚本家の仮名表記はX
原作者=被告=被控訴人 原作者の仮名表記はY

『原作と同じじゃなきゃダメですか?』 2013年
編者:「原作と同じじゃなきゃダメですか?」出版委員会
発行所:シナリオ作家協会

第4章「「やわらかい生活裁判」全記録」に、判決文だけでなく裁判文書の大部分が収録されています。
この本以外にも裁判文書の多くを読めるものはあるのですが、著名でない人物も含め実名表記のままになっているので紹介は控えます。

本記事での、判決文以外の裁判文書の引用は、原則として『原作と同じじゃなきゃダメですか?』によっています。

「『やわらかい生活』裁判を考える会」後篇 - 文化通信.com
裁判報告とシンポジウムのレポート。
『原作と同じじゃなきゃダメですか?』に収録されているものと比べると、かなり要約されていて、元の発言とは違っているので、注意が必要です。


 脚本の種類

『やわらかい生活』の脚本は数種類存在します。
ひとつの脚本に、原告側の呼び名、被告側の呼び名、裁判資料としての呼び名があってややこしいので、本記事では以下のように脚本1などと呼びます。
ちなみに脚本1は、甲12(裁判資料)、準備稿(原告)、第一稿(被告)と呼ばれています。
各脚本の説明は、主に原告準備書面1によります。

脚本1 2004年5月28日印刷
脚本2 2004年10月20日印刷
脚本3 2004年11月16日印刷
脚本4 脚本家が脚本3を手書きで直したもので、撮影に使用された
脚本5 『シナリオ』2006年7月号掲載 脚本4とほぼ同じだが、ラストの音楽指定は脚本1の曲が復活


 経緯

地裁判決の「事実経緯」と高裁判決の「事実認定」以外の資料によった場合は、資料名を記載しました。

2003年

9月11日 著作権使用予約完結権契約締結

2004年

5月下旬 脚本1が原作者側に渡される
     6月20日クランクインと説明

5月28日 原作者側がファックスで3点の変更申し入れ

10月   脚本2が原作者側に送られる
     撮影スケジュールについては説明なし(被告準備書面(4))

10月20日 原作者側が、原作に忠実でなければ中止してほしいと要請

10月末頃 プロデューサーが、直すべきところは直すので再考してほしいと申し出
     11月8日クランクインと説明(被告準備書面1)
     原作者側は、協議への脚本家の出席を要求

11月7日 原作者側とプロデューサー・監督が協議
     脚本家は協議のことを知らされなかったため出席せず
     原作者側は不本意ながら製作を承諾

11月   クランクイン(訴状によれば上旬。10月末頃の説明では8日)

11月中下旬頃 原作使用契約締結(契約書上の日付は2003年9月10日)

注:予約完結権契約とは、オプション契約と同じものだと思われます。
注:2004年11月7日に口頭で原作使用契約が締結されたとする見かたもできるかもしれません。


 絶対に譲れない3点

原作者側は、脚本1に「原作の設定やストーリーを逸脱するものとして看過することのできない点が多数含まれていることを確認したことから」(高裁判決の「事実認定」)、
2004年5月28日付けのファックスで、
「多数の問題点のうち、次のアないしウの3点については原作者としては絶対に譲ることができないので、脚本を変更してほしい旨を申し入れ」(同上)ました。

「アないしウ」については次の項以降で引用し説明しますが、簡単に言うと次のような内容です。

 ラストの音楽
 主人公の出身地と方言
 ウェブ日記の無断利用


 ラストの音楽

原作の作中ではキング・クリムゾンの「エレファント・トーク」が流れ、タイトルは歌詞から採られています。
『ノルウェイの森』と似たようなケースです。

脚本1では、ジャニス・ジョプリンの「A Woman Left Lonely」が指定されていました。
原作者側は2004年5月28日付けのファックスで、
「ア ラストの音楽は「エレファント・トーク」(キング・クリムゾン/ディシプリン収録)でないと作品自体の意味がない。この点は絶対にお願いしたい。ジャニスはクリムゾンの対極にある。」(高裁判決の「事実認定」)
と申し入れています。
脚本2では、曲の指定が削除されました。

11月7日の協議で監督から、
「キング・クリムゾンは音楽使用料が高いので使えない」(被告準備書面1)
との説明がなされ、原作者は受け入れました。

『シナリオ』2006年7月号に原作者に無断で掲載されていた脚本5では、脚本1の曲が復活。「陳述書(2) 原告X」に、「理由はそれが私のモチーフになった曲だからです。」という説明があります。


 主人公の出身地と方言

「イ 主人公の優子は、東京の女だからこそ、蒲田に住んであの作品のような感慨がある。地方出身であればああはならない。方言をしゃべらせるのは止めてほしい。」(高裁判決の「事実認定」)
原作者が出身地の設定を問題にしているのに対し、脚本家側は「主人公の方言問題」(原告準備書面1)と表現しています。

11月7日の協議では、監督から、
「主人公(判決注:優子)は標準語で、幼なじみの男性(判決注:祥一)は博多弁で統一する。」(高裁判決の「事実認定」)
という説明がありました。
しかし、脚本4と完成した映画では、主人公の方言は減らされてはいたもののラストの部分に残っており、設定の問題は解決していませんでした。

上告受理申立理由書では、
「方言のシーンを減らしたものの、優子が九州出身という設定は、原作には東京出身とは書いていなかったこと、(中略)から維持された。」
と説明されています。

原作の1ページ目には、次のように書かれています。
「ずっと東京に住んでいながら蒲田に来るのは二度目だった。小さいころに夏物のスカートの生地を買いに来たっきりだ。」
東京生まれとはっきり書いてあるわけではありませんが、仮に九州生まれだとしても、「小さいころ」にはすでに東京に住んでいます。


 ウェブ日記の無断利用

「ウ 被告が日常出入りする居酒屋の店名が出てくるが、影響を考慮して店名を替えてほしい。被告自身のプライベートにかかわることなので、居酒屋のロケは全く別の土地で行ってほしい。」(高裁判決の「事実認定」)

これだけだとわかりづらいので、ほかの文書からも引用します。

「被告が個人で開設するウェブサイトに掲載している被告の日記からの情報が、脚本で頻繁に使われている。」(被告準備書面1)

「それらはあくまで、個人としてのプライベートな生活にかかわる文章なのであったが、実在する飲食店に対する被告のその日記内のコメントが、本脚本(第一稿)では優子が映画の中で作成するホームページの文章として、被告に無断で大量に引用されていた。そのため、映画の観客から、作家である被告本人と、脚本(映画)内の主人公優子とが同一人物視されかねない危険が生じた。なお悪いことに、Mからは「すでに映画撮影のためのロケハンが始まっており、被告がホームページで紹介した店にもスタッフが足を運んでいる」という情報が入ってきた。実際、のちに映画撮影が進むにつれて、わずらわしいことが増えてきたため、やむなく被告は蒲田から別の場所への引っ越しを余儀なくされることになった。」(被告準備書面(4))
注:M氏はプロデューサー。

読んでいただければわかるように、これは原作改変問題ですらありません。
『イッツ・オンリー・トーク』とウェブ日記は別の著作物なので、利用するのならば別件として利用許諾を受けるべきものです。
原作者側は、「被告個人のホームページからの引用を許諾した覚えはない。」(高裁判決の「事実認定」)としています。

「陳述書(2) 原告X」によれば、この問題に関して脚本4は、「被告の個人情報問題は撮影の中で対処するというH監督の説明を被告は了解したので、そのまま。」でした。
「被告自身は本映画を見ていない」(被告準備書面(4))とのことなので、完成した映画で原作者が納得できる形になっているのかは不明です。


 脚本家の協議欠席

原作者側は、2004年11月7日の協議への脚本家の出席を要求していましたが、プロデューサーが伝えなかったため、脚本家は出席しませんでした。

「被告からの要求として、脚本家(原告X)がその場に出席するようにとの話があったので、Tはその旨をMに伝えたところ、Mはわかったと答えた。」(被告準備書面1)
注:T氏は文藝春秋の編集者。M氏はプロデューサー。

「被告は《被告からの要求として、脚本家(原告X)がその場に出席するようにとの話があったので、Tはその旨をMに伝えたところ、Mはわかったと答えた。》(8頁12~14行目)と主張するので、訴外Mに確認した結果、この事実に間違いない。
 尤も、訴外Mはこの話を原告Xには伝えなかった。その理由は、《こういう場合は直接当事者に面会すると得てして感情的にこじれる事態も予想される》(11頁22行目)と考えた訴外文春と同様であり、訴外M自身の判断で原告Xに伝えないことにしたのである。」(原告準備書面1)

原告準備書面1に引用されいている「こういう場合は…」の部分は、2009年に文藝春秋のS氏が、脚本家側からの質問状に対し、脚本家側にではなくプロデューサーに面会して回答した件です。

2004年の件と2009年の件には事情が異なる点があります。
2004年の件では、「わかったと答えた」にもかかわらず伝言を伝えてさえいないという点が問題です。

2012年のシンポジウム「 脚本と原作と著作権の不思議な関係」で、司会の西岡琢也氏(協同組合日本シナリオ作家協会理事長(当時))は、 原作者と脚本家が会っていないことに関して次のように語っています。
「この場合もそうですし、さっきちょっと話しました「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」っていうNHKの問題も、大森寿美男というライターと辻村美月さん、会ってないですね。一度も会ってないようです。意図はわからないけれども、とにかく会わさない出版社、担当者がいて、会えないっていう状況が、問題をこじらせてると思いますけど、いまなかなか原作者と会えない。」

脚本の書籍掲載の件で原作者に会えなかったことへの不満が影響しているのかもしれませんが、一般的な傾向はともかくとして、『やわらかい生活』制作過程で原作者と脚本家が一度も会っていないのは、すでに述べたように、プロデューサーが取りつがなかったからです。
それにもかかわらず、なぜか原作者・出版社側が批判される流れになっています。
シンポジウム出席者が誰もそのことを指摘しないのは不思議です。


 クレジット

原作者側は2004年11月7日の協議で、
「「原作」としてではなく「Y『イッツ・オンリー・トーク』より」と表記すること」について「H監督から了解を取った」(高裁判決の「事実認定」)
にもかかわらず、なぜか実行されていません。

脚本家側は、原告準備書面1で次のように書いています。
「むしろ厳密に言うと、本映画こそ被告の注文を入れて完全には直しておらず、問題を残している。つまり、2004年11月7日の被告・H監督面談において、被告は、《映画エンディングのクレジットで……「原作」としてではなく「Y『イッツ・オンリー・トーク』より」と表記すること》」(8頁下から2行目~9頁2行目)と注文を出し、了解されたにもかかわらず、本映画では実行されなかった(甲16)」

プロデューサー・監督の対応にくらべて脚本家の対応がひどかったわけではないということを言いたいという意図はわかるのですが、わざわざ指摘することによって、この件に気づいていなかった原作者側が事実を知ることになりました。

被告準備書面(4)には、次のように書かれています。
「むしろ被告としては、今回、「より」の件を指摘されたことで、映画製作についてあれだけ譲歩したのに決めたことが守られなかったと知り、本映画と脚本に関して嫌な経験がまたひとつ増えたというだけである。」


 政治色が出ている場面

クランクアップ後の2005年1月7日に、原作者側は「小説になかった強い政治色が出ている場面」(被告準備書面1)に対して改善を求めました。

この場面がカットされたことについて、脚本家は陳述書(2)で「M氏も被告の要望というより尺詰めが理由だと言っていました。」と書いています(M氏はプロデューサー)。
せっかく原作者の要望に応えた部分だったのに、脚本家によって、映画制作側が原作者側の要望をあまり重視していなかったことが明らかにされてしまっています。


 『シナリオ』誌への 脚本掲載

訴訟開始後に、原作者側の調査により、すでに『シナリオ』2006年7月号に脚本が無断掲載されていたことが判明しました。
脚本家側は当初は強気の主張をしていましたが、
控訴審第2準備書面では、
「控訴人らが慣行として認められると判断して行った行動が、被控訴人の感情を害したことは遺憾であり、最終的にこの行動の法的評価はともかく、今後は慎重に行動したいと考えているが、その当否は別途論ずべきことである。」
と、トーンダウンしています。


 脚本家の方針とプロデューサー・監督の方針

原告準備書面1には次のように書かれています。
「言い換えれば、脚色の本質とは、他人の原作をダシに使って、脚本家の創作性を発揮することである。従って、この本質的な意味からいえば、「原作の忠実な再現」ということは脚色にはあり得ない。」

そして、脚本家側の裁判文書には次のような内容があります。
「もし、改変されることが嫌だというのであれば、当初から映画化の申し込みを受けなければいいのです。」(陳述書 K)
「原作者のY氏が、もしご自分の原作をどうしても守りたいということであれば、初めから映画化を承諾されなければよかったのです。」(陳述書 I)

嫌なら断ればいいという方針で映画制作側が統一されていれば、それほど問題はなかったかもしれません。
しかし、プロデューサー・監督の方針は、そうではありませんでした。

「原作に忠実な脚本に変更するのでなければ、映画化の話は中止していただきたい。」(被告準備書面1)
という2004年10月20日の申し入れに対し、10月末に次のように対応しています。
「さらに、Mはそこを何とかというように、H監督が被告と会って問題を確認し直すべきところは直す意向であると、伝えた。」(同上)
注:M氏はプロデューサー。

原作者側は、11月7日の協議への脚本家の出席を要求していました。
協議で脚本家が正直な意見を述べれば、原作者の許諾が得られないかもしれません。
10月末の時点では、まだ原作使用契約が結ばれていませんが、すでに俳優のスケジュールが押さえられ、クランクイン日も決まっていました。
許諾が得られず企画が潰れれば、制作会社にかなりの損害が出たと思われます。
結局、プロデューサーが伝言を伝えなかったため、11月7日の協議に脚本家は出席しませんでした。

原作者側は、協議で約束されたことを前提に、不本意ながら製作を承諾しました。
しかし、方言やクレジットに関する約束は守られませんでした。

11月中下旬に交わされた原作使用契約書は、「文藝春秋が映画化を許諾するときに通常使っている契約書の書式を使ったもの」(同上)で、地裁判決文によれば次のような規定がありましたが、契約が交わされた時期が遅かったので、改変を止めることはできませんでした。

第5条(著作者人格権の尊重)
1 ステューディオスリーは、第3条各項の利用に当たって、本件小説の内容、表現又は題名等、文藝春秋の書面による承諾なしで変更を加えてはならない。
 ただし、映画化に際し、文藝春秋は、より適切な映像表現をする目的でステューディオスリーが本件小説に脚色することを認めるが、その程度は、事前にステューディオスリーが文藝春秋に提出する本件小説の使用範囲、方法、脚色計画の範囲を超えないものとする。
2 ステューディオスリーは、本件映画のプロット及び脚本を完成後、直ちに文藝春秋に対し3部提出し、本件映画のクランク・イン前に文藝春秋の了解を得るものとする。
3 文藝春秋は、本件映画が本件小説のイメージ又は著作者人格権を損なうと認めるときは、これに異議・修正を申し立てる権利を有する。


10月末には、原作者側に対し、次の内容が伝えられています。
「これに対し、同年10月末、MはTに対して、すでに11月8日がクランクインと決まっており、主演のTさんはじめ俳優さんたちのスケジュールも押えている、と言った。」(被告準備書面1)
注:最初のT氏は文藝春秋の編集者。主演のT氏とは別人。

この件について、原作者側は次のように述べています。
「そもそも、予約完結権契約しか結んでいなくて本契約(原作使用許諾契約)を結ばないうちに撮影日程を無断で決めてしまうのは、映画製作者側の勇み足であり、本来は認められないことなのであるが」(同上)

さらに、11月8日クランクインの件が10月末になって初めて知らされたことについて、疑念も交え次のように述べています。
「むしろ、映画製作者のMのほうが、ぎりぎりの時点まで引っ張って、被告がとても断れない状況に追い詰めるという作戦だったのかもしれないとさえ思われるくらいである。Mがそういう計算をしていたかどうかはともかく、せっぱつまった撮影スケジュールをもちだすことで、この脚本であれば映画製作を拒否するから撮影を中止するようにと、被告が言いつづけるのを困難にさせる効果は絶大であった。」(被告準備書面(4))



 今後の予定

『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』事件、『やわらかい生活』事件に続いて、原作改変問題全般について書きたいと思っていますが、まだ未定です。
書くとしてもしばらく先になると思います。
独立した記事として書く前に、部分的にこの記事に書き足す形で公開するかもしれません。

書きたい記事は色々あるのですが、文章を書くのが苦手で、いつ書けるかわからないので、ネタだけを箇条書きにしたような記事を書こうかと思っています。
原作改変問題全般より、こちらのほうを先に書くかもしれません。

 

b8270.hateblo.jp