『天漢日乗』による『息子と僕のアスペルガー物語』の内容紹介は妥当なのか?


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『天漢日乗』による紹介での印象と原文を読んだ印象ではかなり違うということについて書いてみます。

『天漢日乗』の記事では、マスコミ業界にいる同級生の「人間としての規範を踏み外せる奴がマスコミでは出世する」という話を紹介し、続けて奥村隆氏の『息子と僕のアスペルガー物語』を次のように紹介しています。

そうしたマスコミの、ここではテレビ局内の
 空気が読めず、他人を傷つけるようなことを平気でやる人間達
の話を、
 アスペルガーを克服して、社会的に成功しているテレビ人の立場
から連載しているのが、現代ビジネスで連載されている
 僕と息子のアスペルガー物語
である。

そして、【第20回】の内容に対して次のように述べています。

発達障害であったとしても、なかったとしても
 一般社会ではあまり容認されない個性がマスコミでは「よいもの」として受け入れられている
ことを嬉々として例示していくのである。

それらを受けての『天漢日乗』での結論は次のようなものです。

マスコミの取材を受ける一般社会の普通の人の対策は
 相手は人間の姿をしているが、中身は自分たちとは違う
と思って相手をするくらいでちょうどだろうと思うよ。
 同じ人間だと思ってしまうから、つけ込まれるんだ
と覚えておいた方が後々イヤな目に遭わずに済む。

では、奥村氏は具体的にはどのようなことを書いているのでしょうか。
たとえば、取材力が圧倒的だというFさんについては次のような発言が紹介されています。

「他の同業者がどうやって取材相手を口説いているのかは知らんよ。でも、俺は論理的に話すことしか考えていない。

 相手にとって、俺の取材に応えるメリットとデメリットは何か。両者を差し引きするとメリットの方が大きくなるのはなぜか。俺の取材に応えるとどういうことが起きて、そのメリットとデメリットは何か・・・。そういうことを細かく、丁寧に、整理しながら説明していけば、だいたい相手はわかってくれるものだ」

「わかってくれなかったら?」

「そりゃ仕方がない。諦めるしかない。俺だって、スクープを取れたことより取れなかったことの方が圧倒的に多いんだ。少し時間が経った頃にもう一度話をすれば、相手の状況も変わっているから、また可能性が出てくるよ。

[引用者注:ここで改ページ]

 同業者の中には、金とか女とか、取材先の弱味を握って揺さぶろうとする奴もいる。俺は、そういうやり方は馬鹿げていると思う。効果も薄いね。

 一時的にはネタが取れるかもしれないが、それが終わったら後は何も出てこない。論理的に理解し合った相手の方が、長く信頼関係を作れるものだよ」

Fさんが自分の取材方法として語っているのは、取材先の弱みを握って揺さぶるような無茶をせず、丁寧に相手を説得し、説得がうまくいかなかったときは無理をせずに諦めるということです。理屈っぽいというのは日常の対人関係ではマイナスに働くこともありますが、この場合はうまく仕事に生かせているといえます。
また、「時間に細かい」といったような特徴がマスコミで「よいもの」として受け入れられるのも、不自然なことではないでしょう。

なぜ『天漢日乗』は、奥村氏が書いていることを否定的に受け取ったのか。理由としては次の二点が考えられます。

一点目は、「人の気持ちを考慮せず、事実関係のみに基づいて議論する」という部分です。
「人の気持ちを考慮せず」が取材対象に対するものであれば確かに問題です。しかし、後半が「事実関係のみに基づいて議論する」であることや、挙げられている具体的なエピソードから、内部での議論には有効であることを表していると思われます。

二点目は、コンプライアンスに関するエピソードです。
『天漢日乗』での引用を読むと、奥村氏がコンプライアンスに反対しているような印象を受けます。しかし、引用には途中に「(略)」とあり、略されている部分で奥村氏は、「コンプライアンスの徹底が重要です。」という話に対し、「至極もっともな話だった。」と書いています。
わたしは、原文を読んで、上役であっても遠慮なく批判でき、そのことによって不利益を被らないという風通しのよさを紹介しているエピソードだと感じたのですが、『天漢日乗』は、Aさんの発言部分のみに注目したのでしょう。
また、この話は、「時代が変わった」というような漠然とした理由でルールが変わってしまうことに対応できない不器用を表しているエピソードでもあります。