作品内と作品外の見た目のずれ



このようなページが話題になっていました。作品内と作品外の見た目にずれがあるということが語られています。

このずれには前から興味があったので、ずれが印象的だったいくつかの作品について書いてみます。

まずは、映画から。

『悪の教典』
よくあるケースだと思いますが、キャスティングで美男美女を設定上より多めに使っています。
登場人物に美少女がいるんですが、全体のレベルが高いため、作品内で誰が美少女なのかセリフなどに頼らないとわかりません。

『手紙』
沢尻エリカさんの演じている役に違和感があったんですが(確か原作より先に映画を見ました)、作品内では美人じゃないと考えると納得がいきます。
検索すると生野慈朗監督のインタビューが見つかります。監督は「原作での沢尻さんの役はもっと野暮ったくて、不細工なはずなんです。(中略)……大失敗です(笑)」と語っています。

『容疑者Xの献身』
 石神哲哉:堤真一
 工藤邦明:ダンカン
石神哲哉は原作より見た目のレベルは上がっているのですが、演技によってちゃんとモテなさそうになっていました。
工藤邦明は石神よりずっとモテる人のはずなので、石神の見た目を上げたのに工藤の見た目を上げなかった(というか、たぶん下がってます)のは、バランスが悪く感じます。

あと、映画に関していえば、ちょっと話はそれますが、たとえばハリウッド映画で、美人設定らしいのに日本人の感覚からは美人に見えない場合、美人に脳内変換して受け取るべきかどうか迷うことがあります。

以下はマンガです。

柴田ヨクサル『ハチワンダイバー』
ずれがあるんじゃないかと思っていたら、実際はなかったという例です。
ヒロインが「ぽっちゃりキューティー」と呼ばれたのを見て、絵のクセだと思っていたら作品内で本当にぽっちゃりだったんだなあと思った記憶があります(読んだのは結構前なので記憶は曖昧ですが)。

みなもと太郎『風雲児たち』
大黒屋光太夫一行のひとり新蔵は、ロシアの未亡人ニーナと付き合っています。
ニーナは、病気の新蔵を見舞うため初めて一行の前に現れます。
そこで、それまで美人として描かれていたニーナが、突然作品内での実際の姿で描かれ、一行がずっこけ、「新蔵に聞いとったのとだいぶちがうのお」というギャグがあります。

小林まこと『青春少年マガジン1978~1983』
この作品は小林まこと氏の自伝マンガなのですが、冒頭に次のようなナレーションがあって、作品内と作品外のずれを宣言しています。

この物語の主人公は
本当はこんな顔ですが
作品のクオリティを尊重して
こんな顔とさせていただきます


ジャニーズ主演とかでドラマ化しませんかね。もちろんこのギャグ込みで。