先々月の10月に、2007年に起こった唐沢俊一氏の盗用事件が、ひさしぶりに話題になりました。
きっかけは、別件で唐沢氏と論争していた町山智浩氏が盗用事件に触れたことに対し、唐沢氏が連続ツイートで答えたことです。
唐沢氏のツイートは以下のものです。
https://twitter.com/cxp02120/status/923471555929128960から始まる22ツイート
https://twitter.com/cxp02120/status/923541859447717888から始まる11ツイート
https://twitter.com/cxp02120/status/923813351716564992から始まる8ツイート
ツリー表示されないツイートには次のものがあります。
https://twitter.com/cxp02120/status/923556075789418496
https://twitter.com/cxp02120/status/923559705519144960
https://twitter.com/cxp02120/status/923817143770030081
https://twitter.com/cxp02120/status/924190710839963649
今回のツイートでは、説明が以前より詳しくなっている部分もあったので、この機会にまとめておきます。
■どのような事件か?
唐沢氏の著書『新・UFO入門』に、ブログ『漫棚通信』の内容と類似した部分があり問題になりました。
『漫棚通信』にはこの事件に関する記事が多数ありますが、重要なのは以下の三記事です。
これは盗作とちゃうんかいっ: 漫棚通信ブログ版
これは盗作とちゃうんかいっ・決裂篇: 漫棚通信ブログ版
これは盗作とちゃうんかいっ・喧嘩上等篇: 漫棚通信ブログ版
■どの程度似ているのか?
上記リンク先の『漫棚通信』記事でも比較されていますが、下記リンク先の、ばるぼら氏によるページが、『漫棚通信』と『新・UFO入門』の文章を左右に配置し類似部分に色が付けてあるので見やすいと思います。
なお、比較されているのは、『新・UFO入門』の134ページ11行から136ページ8行まで(山川惣治氏のUFO体験談紹介)、136ページ15行から139ページ5行まで(『太陽の子サンナイン』紹介)と、『漫棚通信』の該当部分です。
ネット上の文章と酷似する『新・UFO入門 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか』(唐沢俊一著)を巡って
■唐沢氏の当時の説明
5月30日のサイトの説明では、「当サイトの 紹介を大いに参考にさせていただいたことは事実ですし」と、参考にしたことは認めています。
ただし、それに続く「ある作品のストーリィを紹介するという性格上、参考にさせて いただいたサイトとの記述の非常な類似のあることも事実です」という部分は、同じストーリーを紹介するのだから当然似てしまうという理由で、コピー&ペーストは否定しているようにも受け取れます。
また、6月4日の日記にも、「ストーリィ紹介の部分なので、つい文章に、コピーと取られる類似性を持っていた。」と、コピーであることを否定するニュアンスの記述があります。
それに対し、8月1日の経緯説明では、「参考として手元にコピーし、メモしておいた漫棚通信氏のサイトの文章を、原稿執筆時、当方のケアレスで、ほぼそのままの形のものをペーストしてしまい」としています。
唐沢俊一ホームページ :: ニュース :: 新刊 :: 5月30日投稿
唐沢俊一ホームページ :: 日記 :: 2007年 :: 06月 :: 04日(月曜日)
唐沢俊一ホームページ :: ニュース :: 新刊 :: 8月1日投稿
唐沢俊一ホームページ :: ニュース :: イベント :: 8月3日投稿
■今回のツイート:「引用で処理」
もともとの原稿組みの段階では、私のまとめでダイジェストする予定でおりました。それが種々の事情で刊行予定が遅れに遅れ、他の論考部分の手直しの時間がこのままではなくなってしまう可能性が出てきました。あらすじ部分はネットなどを参考にしようと、
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月27日
いくつかのサイトの文章をメモとしてストックしておりました。それらに他の部分の執筆の合間に目を通しましたが、ちょっと長めの原稿となるため、他の、私の地の文とは表現のニュアンスが異なる部分があり、そこを、チェックのつもりで赤入れしていました。そのうち
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月27日
いよいよ執筆の時間が足りなくなり、やむを得ず引用で処理しようと、パソコンの中のストックを当該部分に流し込んだ段階で、チェック訂正した部分の復元がなされないままになってしまいました。本来、完成原稿は複数回の原稿チェックが基本なのですが、その時間のほとんどは
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月27日
論考部分に集中され、あらすじ部分は引用ということで、元文章との異同のチェックがおろそかになってしまったわけです。そこに、引用元明記失念というミスが重なりました。大きな失敗だったと思っています。オリジナルの論考部分において借りたアイデアでこのミスがあった場合は
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月27日
たとえミスとはいえ、盗用のそしりは免れないと考えております。今回、引用部分とはいえミスを重ねたのは自分の責任と思い、先方の要求をある程度のむことは覚悟していましたが、それは逆に法律の軽視になるので決してしてはいけない、と弁護士さんに叱責されました。あくまで
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月27日
引用元明記失念ということは主張し、また、文章の変更も、分量的に盗用隠しと判断される量には及んでいないとの判断でした。出版はひとり著作者だけのものではなく、編集部、出版社もその権利を分かち合っております。意識を統合して対処しなくては足並みが乱れます。弁護士さん
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月27日
に相談した段階で、必ずしも私の意思と同じとはいかない方向にことが進んでいく場合がありえます。最終的には裁判の場においての意見陳述で私の真意を述べようと思っていましたが、先方が訴訟を起こさなかったため、その機会が得られないまま現在に至ったのは返す返す残念です。
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月27日
当初は引用の予定ではないので、参考にする文章に「チェックのつもりで赤入れして」改変。
(若干改変した文章は、あとで完全に自分の文章に書き換える予定だったという意味でしょうか?)
↓
時間が足りなくなり、「引用で処理」することに方針転換。
引用ならば原文通りでなければならないが、「チェック訂正した部分の復元がなされないままにな」り、さらに「引用元明記失念」。
唐沢氏の説明に補足してまとめると、上記のような流れでしょうか。
引用としてまったく成り立っていないのは、原文を改変し、カギカッコでくくらず、出所明示が無いという、三つもの問題が重なっているからです。
ツイートの説明を信用し、唐沢氏に盗用の意図は無かったと見るにしても、うっかり出所明示を忘れてしまったというレベルの単純ミスではありません。
本人の意図はともかく、外部からは引用のつもりであると判断できる手がかりが何一つありません。その上に、原文改変も行われています。出所明示が無くても、せめてカギカッコだけでもあればよかったのですが。
上の一連のツイートように「大きな失敗」であることが書かれている説明に対し、下のツイートのような説明だと少し軽いような気がします。
また、『社会派くんがゆく! 復活編』(2007年)の「これを認めると、今後、単純な引用ミスをおかしただけの同業者が、これを前例とした相手に過大な謝罪を要求されるという事態を招きかねない。」(コピーをとっていたつもりだったんですが、見つからないので、『漫棚通信』の「喧嘩上等篇」より孫引き)というのは、かなり問題のある表現だと思います。
(補遺)もはや事情をよく知らない人もいると思うので。「盗作」というおだやかでない単語を相手側が使うので私が他人の著作を丸まる一冊盗用したかのように思っている人もいるようですが、実際は本の一部である作品の「あらすじ」を引用した際、引用元の明記を失念していた、ということであります。
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月26日
引用先の提示をしていなかった、というミスで問題となったことは事実ですが、引用の範囲や内容については、正しくそれが提示されていた場合は問題となるレベルではなかった、と専門家の回答を得ております。
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月26日
上で紹介した一連のツイートでは、自分でまとめるには時間が足りなくなったので「引用で処理」したという説明ですが、次のツイートには、「数ページのあらすじ紹介なら盗用するより自分でまとめた方が早く、盗用する理由がない」とあります。
そこらも、ちゃんと弁護士さんには確認済みなんですけどね。その程度では盗用の意思の立証にはならない、と。第一、私の手元には原作の絵物語があり(それは相手側にも証明して納得済み)、数ページのあらすじ紹介なら盗用するより自分でまとめた方が早く、盗用する理由がない。
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月26日
■今回のツイート:「結果的に盗用になった」
あと、私は「結果的に盗用になった」ことを認めるのにやぶさかではないですよ。先方が要求しているのはあくまでも「最初から盗用の意思があった」ことを認めろ、と言っているわけです。これを認めることは真実でない故できない、と言っているんです。
— カラサワ (@cxp02120) 2017年10月28日
唐沢氏が「結果的に盗用」と表現するのは始めて見ました。
「コピーと取られる類似性」「無断引用」「引用ミス」などではなく、当初から「結果的に盗用」と言っていれば、かなり印象は違っていたと思います。
■今回のツイート:漫棚通信氏との関係
最初はそのつもりでいましたよ。でも、その後、先方の真意が謝罪を求めることではなく、ひたすら私の悪評を広めるということ(もとから先方とは感情的にいい関係ではありませんでしたから)にある、とわかり、これは謝罪をどれだけ続けても千日手にしかならない、と判断しました。
#532; カラサワ (@cxp02120) 2017年10月28日
このツイートには、「もとから先方とは感情的にいい関係ではありませんでしたから」とありますが、当時の文章には、「以前より漫棚通信氏のサイトのファンであった唐沢」とあります。
唐沢俊一ホームページ :: ニュース :: 新刊 :: 8月1日投稿
■唐沢氏と幻冬舎
唐沢氏が十分な謝罪ができなかったのは(唐沢氏としては十分謝罪しているという意識かもしれませんが)、唐沢氏だけの問題ではないようです。
今回のツイートを読んで唐沢氏に少し同情したのは、版元の幻冬舎が取った方針が(唐沢氏のツイートなどから間接的にわかるだけですが)、唐沢氏にとって得にならなかったのではないかと思える点です。
幻冬舎が唐沢氏のことを考えなかったと言いたいわけではありません。謝罪を抑え気味にするという姿勢は、裁判や金銭的解決に備えた法律面では妥当なのかもしれません。ケースや相手が違えば有効な場合も多いでしょう。
このケースは、金銭的にはそれほど大きな問題にはならないと思います。しかし、物書きのモラルの問題としては大きなものです。
謝罪を抑え気味にするという姿勢は、結局、唐沢氏の評判をかなり下げてしまいました。早い内に「結果的に盗用」を明確に認めて全面的に謝るというのが、唐沢氏にとっては正解だったんじゃないでしょうか。