海外の陰毛処理


海外の陰毛処理については、昨年、次の記事が話題になったとき少し調べたので、関連情報を紹介します。
陰毛は剃るべきなのか? - GIGAZINE

研究論文:女性のアンダーヘア処理と性的偏見
2014年の論文。これまでの研究も紹介されています。

Evulvalution: The Portrayal of Women's External Genitalia and Physique across Time and the Current Barbie Doll Ideals: The Journal of Sex Research: Vol 48, No 1
2009年の論文。600冊以上の『PLAYBOY』誌で陰毛処理の変遷を調査。

なんでも評点:欧州では若い女性(18歳~25歳)の“パイパン”率が50パーセントに上ることが判明
欧羅巴陰毛事情 : 観測所雑記帳
欧羅巴陰毛事情 2 - むだ毛のない肌、欧州男子の常識 : 観測所雑記帳
米国人女性が主導する人類の隠された「進化」 | JBpress(日本ビジネスプレス)
後藤寿庵先生の陰毛推し(R-18注意) - Togetterまとめ
わいせつ基準の変遷 - 仮想と現実
松沢呉一のカシコイおもてなし|第8回(前編)|風俗求人てぃんくる

Why You Need To Know The Complicated History Of Pubic Hair Removal - Role Reboot

例の「児童ポルノ」CGは明らかにアウトだとは思うのですが


「児童ポルノ」CG裁判の二審判決が出ました。
「写真参考のCGでも児童ポルノ」2審も有罪判決 | NHKニュース

すでに多くの人が指摘しているように、この件は、肖像権・著作権的にアウトだと思っています(日本では肖像権は明文化されていないという問題はさておき)。
それがCGと児童ポルノの問題になっているところが悩ましい点です。
アウトだと思うのは、実在人物の写真が元になっているからで、非実在だったら話は別、という点は強調しておきたいと思います。

初期報道では、写真をスキャンして加工したとされていましたが、実際はそうではなかったようです。
したがって、制作の手順としては加工ではなく、一から描いたというのも間違いとは言えないのですが、内容の点からいえば、元写真にかなり依拠したものがあります(とくに顔)。

はてなブックマーク - CGも児童ポルノ、写真以外で全国初摘発 デザイン業の男逮捕 - MSN産経ニュース
2013年の報道。記事自体は消えています。
「少女の写真をスキャナーでパソコンに取り込み」とあるのですが、弁護士ドットコムの記事によると、「「私は参考写真と言ったのに、刑事に『結局素材なんでしょ?』と言われ、調書には素材だと書かれた」などと話した。」ということだそうです。

はてなブックマーク - CG画像児童ポルノ初摘発の波紋 | 東スポWeb - 東京スポーツ新聞社
記事自体は消えています。
この問題を考えるのには画像が必要だと思うのですが、報道ではほとんど出てきません。児童ポルノや児童ポルノの疑いがあるものは載せられないですし、モデルの女性への配慮の問題もあるのでしょうが、画像がないことで分かりにくくなっています。
マスコミ報道で画像が載っていたのは、東スポのこの記事ぐらいかもしれません。画像は被告人(当時は容疑者)のサイトのスクリーンショットで、CGの顔の部分が載っています。

被告人のサイト(現在は消えています)には、次のように書かれていました。モデルが誰かわかるような画像だったことが示されています。
「1980年代の一時、まばゆい光彩を放ちながら儚く消えていった幾多の少女像。 いま精緻な描写のイラストが、それら幻の少女像を鮮やかによみがえらせる—。」
「Q2.『聖少女伝説』で取りあげてるモデルは誰と誰ですか?
A2.モデル名を明示することはご容赦ください。
   ただ、取りあげているモデルは7人で、上記サンプル、およびバナー等で7人が誰かおわかりいただけると思います。」

「理想の人体を描きたい」CG児童ポルノ裁判の被告人が語った「聖少女」を描くワケ - 弁護士ドットコム
「その点について、男性は「顔には記号性があります。誰かの顔に近づけないと、顔として成り立たないと考えています。漠然とした顔だと、イメージもぼんやりしてしまう」と説明した。」とあります。裁判でも、顔を実在の人物に近づけたことは認めています。

2016年の報道(はてなブックマーク数が多いものを選びました)
CGで裸の女児、児童ポルノか芸術か 裁判で争点に:朝日新聞デジタル
CG児童ポルノ有罪 「実在児童描き、写真と同じ」認定:朝日新聞デジタル

【日記】ウィキペディア「シーチキン」からリンクされていたんですが


昨年、「ツナ缶の起源は19世紀」という記事を書いたのですが、数日前からこの記事に関する不思議なアクセスがあります。
記事URLの最後の部分はcanned_tunaなんですが、canned_tuna/にアクセスがあるのです。
微妙な違いではありますが、そんなページは実在しないので、「お探しの記事は見つかりませんでした。」と表示されてしまいます。

気になって調べてみると、「シーチキン - Wikipedia」からリンクされていました。URLが違うだけでなく、タイトルも「ツナ缶の起源について」になっています。
自分で修正するかノートで指摘するかすればいいんでしょうが、ウィキペディアの編集をやめてから10年以上がたちますし、ちょっと億劫です。
それに、ウィキペディアといえば、漢たちと姐御たちが煽りあいdisりあう戦場だし、ブログへのリンクを本人が修正したら、なにを言われるかわかりません。
ということで、ここでメモするだけにしておきます。

ちなみに、ツナ缶の起源は、ウィキペディア日本語版では1903年アメリカ、英語版では1903年オーストラリアになっていますが、実際には19世紀のヨーロッパだと思われます。

コンゴ・カタンガ地方に残された日本人の子供たち

togetter.com

上記まとめのはてなブックマークで、関連情報のあるページを紹介したところ、たくさんのスターをいただきました。ありがとうございます。
ブックマークでは字数上2件しか紹介できなかったので、もう少し詳しく書いてみます。

わたしがこの件を知ったのは、昨年の3月頃だったと思います。当時、2010年の France 24 の報道が、ツイッターやはてなブックマークで若干話題になっていました。
Katanga's forgotten people - France 24

三浦記者が「非常に残念なことに、一部の海外メディアでは、当時鉱山では日本人遺児の殺害が行われていたとの報道がなされています。しかし、私の1年に及ぶ取材ではこれらの事実はまったくでてきていません」と書ているのは、この報道のことなどを指していると思われます。

ウィキペディア英語版では、France 24の報道内容に沿った記述がなされています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Afro-Asians#Katanga_Afro-Japanese

詳細が気になって検索してみると、日本カタンガ協会の田邊好美氏のブログ記事が見つかりました。
一つ目が、この問題のまとめ。二つ目が、テレビ取材について。三つ目が、放映ではカットされてしまった件についてのものです。
アフリカの星 Etoile d'Afrique: 10月2日 日本人を父親とし、コンゴに置き去りにされた子供たち enfants japonais abandonnes au Congo
アフリカの星 Etoile d'Afrique: 11月13日~22日 『世界ナゼそこに?日本人』 Pourquoi es-tu dans ce coin du monde ?
アフリカの星 Etoile d'Afrique: 3月21日 「世界ナゼそこに? 日本人」 「Un japonais, pourquoi dans ce coin du monde ?」

田邊氏は次のように書いています。
「娘たちの年齢は、そのとき14歳、15歳であった。これは日本では犯罪である。相手の日本人は若く20、21歳の男性もいたが、多くは30代、40代の男たちである。日本でも妻帯者である。コンゴ側にとっては日本に妻がいても違和感がなかった。一夫多妻がごく一般的に見られるコンゴ社会である。」

妻帯者の場合、日本の感覚では「結婚」にはならないように思われます。このあたりで双方に認識のずれがあったのかもしれません。
ただし、日本人側が結婚だと思っていなかったとしても、コンゴ側ルールを適用すると結婚ですし、逆に日本側ルールを適用すると年齢がアウトになります。

日本大使館・外務省を通した連絡に対し、日本鉱業は、「個人の問題であり、会社としては介入しない」と回答したそうです

三浦記者もツイートで紹介している日本食食堂は、田邊氏によれば、「 日本のある財団のトップの方が、ムソシの子どもたちの話を日本大使閣下から聞き、ポケットマネーを出してくれた。その資金が食堂開店のベースになっている。去年8月に開店したが経営はまだ軌道に乗っていない。」とのこと。

ちなみに、田邊氏を取材した番組の放映内容は次のような感じです。
[世界ナゼそこに?日本人?知られざる波瀾万丈伝? 【ナゼか未知の国に暮らすワケあり日本人2時間スペシャル!】 ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)

3月1日|佐藤慧 -世界に魅せられて-
ジャーナリスト佐藤慧氏による2011年の取材メモ。「詳しくはいずれ記事を書くのでそちらで。」とありますが、記事になったのかどうかはわかりませんでした。

第 12 章 ザイールに進出した日本企業
背景にある当時の状況を解説したページ。ザイールというのは当時の国名。
ここに書かれているような治安状況からすると、意図的にではなく子供と別れることになってしまった父親もいるのかもしれません。

モブツ・セセ・セコ - Wikipedia
当時の大統領。「東西冷戦を利用して、アフリカにおける反共の砦を以て任じ、その見返りに西側先進国からの支援金を一手に引き受けて、そのほとんどを着服した。またその権力基盤は、鉱山会社の利益に支えられていた」「モブツの不正蓄財は総額およそ50億ドルといわれ」

日本人の話とは別件ですが、コンゴ民主共和国は今でも大変な状況で、その背景には、やはり鉱物資源があるようです。一つ目のリンク先は三浦記者ツイートのまとめ。
朝日新聞三浦記者が取材した、アフリカ中部のコンゴ民主共和国でレイプされた女性たちを守る病院。 - Togetterまとめ
「性器の傷跡を見ればどのグループの仕業かわかる」デニ・ムクウェゲ医師がコンゴの紛争資源と組織的性暴力について語ったこと - HIROKIM BLOG / 望月優大の日記

ダホメ王国の例の国旗は実在したのか?


この記事は、はっきりした結論がない上、身も蓋もなく夢もない内容です。あらかじめご了承ください。

さて、今回取り上げるのはこの国旗です。ネットでは何度も繰り返し話題になっています。

f:id:Hachi:20161025230919p:plain


ダホメ王国はこういう国です。
ダホメ王国 - Wikipedia

わたしがこの国旗を知ったのは、2014年の次の記事だったと思います。
ウィキペディアのおもしろい一文を探す - デイリーポータルZ
記事中に「これであってほしいのでそれ以上は調べてません。」とあるように、調べたら残念なことになりそうな気配が濃厚なのですが、そこをあえて調べてみます。

以前には、なんばりょうすけ氏が画像のソースに言及しています。
https://twitter.com/rna/status/431232476812288001

もう少し付け加えてまとめると、次のようになります。
ウィキペディア(ウィキメディア)のダホメ王国国旗画像には、2008年の画像Aと2012年の画像Bがあります。
File:Reino de Dahomey 1889.gif - Wikimedia Commons
File:Dahomey flag 1889.svg - Wikimedia Commons
画像Aは、『Flags of the World』の「Benin」に掲載されているもので、スペインのJaume Olle氏によるもの(1996年)。
ウィキメディアに画像Aをupした人物は、ほかにも多くの画像を上げているのですが、著作権侵害を指摘され削除警告を受けまくっています。
でも、Jaume Olle氏の画像に関しては、それ以前の2004年にウィキペディアとOlle氏との間で話がついているようです。
Benutzer:ALE!/Flaggen ? Wikipedia(ドイツ語・スペイン語)
画像Bは、画像Aをもとにした、ArnoldPlaton氏によるもの。
ゾウの目付きが、べつやくれいさんの絵みたいになっているのは、ArnoldPlaton氏のしわざです。

ちなみに、べつやくれいさんのツイートはこちら。
https://twitter.com/betsuyaku/status/422619448663486464

Jaume Olle氏は世界各地の旗画像を作成しており、石田三成の旗指物画像もあります。
Daimyo flags - Ohmi (Japan)

ウィキペディア・スペイン語版では、2016年7月に別の画像に差し替えられています。写実的なゾウです。
Diferencia entre revisiones de ≪Reino de Dahomey≫ - Wikipedia, la enciclopedia libre

ウィキペディア英語版では、画像の信頼性を疑問視する声があり、掲載されたり外されたりしています。
Talk:Dahomey - Wikipedia

画像Bに「Flag of the Kingdom of Dahomey (King Ghezo, 1889)」と説明があることに対し、ゲゾ王の在位(1818年-1858年)とのずれが指摘されています。

redditのスレッドや英語版のノート(トーク・ページ)では、画像Aの原典として、ゾウの旗を描いた絵画(版画?)が紹介されています(redditからのリンク先はこちら → 420_001.jpg)。
画像Aとはかなり違いがある絵なので、これが原典であるのならば、画像AとBは実際の旗とは別の独自の創作物と考えたほうがいいかもしれません。
また、この絵画が、実際の旗を正確に描写しているのかと言う問題もあります。
redditや英語版ノートでは、そもそも描かれている旗が国旗かどうかもはっきりしないということも書かれています。
www.reddit.com/r/vexillology/comments/19ufd5/flag_of_dahomey/
「Flag of Dahomey : vexillology」

もう少し詳しく調べたかったんですが、ここまでしか調べがつきませんでした。

「枕投げ」1960年代の用例


【11月24日追記】Googleブックス検索問題が解決していました。現在ではすべてのリンク先で検索結果が見れます。

一昨日書いたように、Googleブックスで検索できる情報が激減しています。
それに気付いたのは、先日、ブラウザのブックマークに溜め込んでいた「枕投げ」などの検索結果を見返したときです。
枕投げ関連では、大部分が該当の文章を見れなくなっていましたが、二件だけはなんとか見ることができたので、それを紹介したいと思います。

枕投げの歴史はよくわかっていません。用例探しとしては、飯間浩明氏のツイートを中心にまとめられた次のページがあります。
枕投げの歴史は謎です - Togetterまとめ
ただし、亀井麻美氏の次のツイートが収録されていません。
https://twitter.com/kameiasami/status/587210944712835072
https://twitter.com/kameiasami/status/587222552600186880

亀井氏のツイートでは、大正15年の用例として、「まくらをぶつゝけたり」「枕ぶつけの戦闘」が紹介されています。
どちらも行為としての枕投げの例で、「枕投げ」という言葉は使われていません。

以下、Googleブックスで見つけた用例を紹介します。

枕投げに関する、以前の検索結果の中では、かろうじて「しつけと道徳」と「教育」で用例が見れました。ただし、この二つも、見えたり見えなかったりで安定していません。

二つのページの用例は次のようなものです。
『しつけと道徳: 実行力を育てる』牛島義友 金子書房 1964年
29ページ「枕投げをして騒いでいた」
『教育』第16巻 第191~197号 国土社 1966年
62ページ「修学族行で枕投げを やって大いに騒ぎ」

現物を確認する必要がありますが、「枕投げ」という言葉は、1960年代までは遡れるようです。

二つのページ以外は該当部分の文章が見れなくなっていますが、ブックマークしていた検索結果を年代順にリンクしておきます。

桐蔭間語 - 森本角藏 - Google ブックス
検索語:"まくらが投げ" OR "マクラが投げ" OR "枕をなげ"
自由 - Google ブックス
検索語:"マクラ合戦"
しつけと道徳: 実行力を育てる - 牛島義友 - Google ブックス
検索語:"枕投げ"
Ky?iku kiroku jissen sensh? - Google ブックス
検索語:枕 OR まくら OR マクラ "修学旅行"
教育 - Google ブックス
検索語:"枕投げ"
エコノミスト - Google ブックス
検索語:枕 OR まくら OR マクラ "修学旅行"
いま学校で - Google ブックス
検索語:"まくらなげ" OR "まくら投げ"
町づくりの思想 - 西山夘三 - Google ブックス
検索語:"マクラなげ" OR "マクラ投げ"
Taish? Sh?wa ky?iku no tenn?sei ideorog? - Nobuyoshi Yamamoto, Toshihiko Konno - Google ブックス
検索語:"マクラなげ" OR "マクラ投げ"
Seikeisha ky?iku no shiry? to atsukaikata - Google ブックス
検索語:まくら OR マクラ OR 枕 "修学旅行" 
Ushio - Google ブックス
検索語:枕 OR まくら OR マクラ "修学旅行"
Yamanashi-ken hekichi ky?iku no hyakunen - Tsutomu Kumitani - Google ブックス
検索語:"まくらをなげ" OR "マクラをなげ" OR "まくらを投げ"
Jurisuto - Sakae Wagatsuma, Toshiyoshi Miyazawa - Google ブックス
検索語:まくら OR マクラ OR 枕 "修学旅行"
教育実践 - Google ブックス
検索語:まくら OR マクラ OR 枕 "修学旅行"
昭和十一年生まれ: 1936 - Kawade Shob? Shinsha. Hensh?bu, 河出書房新社. 編集部 - Google ブックス
検索語:枕 OR まくら OR マクラ "修学旅行"
独協百年 - 独協学園. 百年史編纂室 - Google ブックス
検索語:まくらぶつけ